新ガラマニ日誌

ガラリアさん好き好き病のサイトぬし、ガラマニです。

ガラマニ日誌〔3〕03/5/3「書く能力と喋る能力」

ガラマニが大学に行っていた頃、こんなことを思った。毎年4月、新年度の講義を選択する際、学生たちには「講義概要」という、分厚い冊子が配布される。それには、各講義の先生が、私の授業はこんな内容ですよ~、と、書いてある。学生たちはそれを読んで、

「この先生は、出席毎回とるんだって。厳しいみたいだ」 とか、
「これは、内容が、すごく面白そうだね」とか、
「これ、全然楽しそうじゃないよ。でも必須だから仕方ないや」とか、
話し合い、今年度受ける授業を考える材料になる。

また、大学には、よく売れる本を書いている先生方も、何人もおられたので、その本を読んで、実に面白い!よしこの先生のナマ講義を是非!という動機で、選択することもあった。

ところが、だ。結論を言おう。

書く文章は、すんげぇ面白いのに、喋るとさっぱりめっきり、つまんない先生。

本は出しても売れないし、講義概要のアオリ文句もさえてないのに、喋ると、もう、ノンストップアドベンチャーで面白い先生。

この両者が、はっきり区別されたのである。

どうやら、同じ<言語>を司る能力でも、文章に書き表すことと、口で喋ることとでは、脳内の別の部位らしいのだ。このデータは、大学での経験以後も、様々な場面で、やっぱりそうだぁ~と実感してきた。

そして、俺は、残念なことに、後者に属する人間らしい。

ネット界の対話は、文章力に拠ることが大部分であろう。画像や音声チャット等はあるものの、こういう、サイトを見た際に、人を惹き付ける魅力は、デザインや技術より、やはり、文章力である。

いくら、多彩なアニメーションや音楽を駆使しても、読ませる文自体と企画立案自体が、興味を惹かなくては、すぐ飽きられてしまう。俺が、過去、愛読してきたサイトは、企画そのものの発想や、書いてある内容自体が、面白いものばかりだ。

そう考えてみると、どうも、俺は、手紙を書くより、会って喋る方が得意だ。文章で感じられる俺と、ナマの俺とでは、印象がかなり違うらしい。どうも、書くと、俺は文語調が好きで好きで好きで、読む方は、なんだこいつ、かたっくるしいなぁ、と思うみたいだ。

…恋文に…
「あなたには臥薪嘗胆の時でありましょう」とか
「言うには及ばず、明日の俺を見ていて下さい」とか
「意気に感ずとは本日のデートのためにあった言葉なのか」とか…書くから…ナァ…俺…

俺はバーン・バニングスか。

いや、まじでまじで。ホントーにそうなの。どうも相手の反応が悪いので、友人に添削してもらうと、

「なんやえらい硬いな!もうちっとやわらこうできひんのかいな」
「ながっ!もっと簡潔に。軽く、短く!」って言われるんだよ…

文章を書くことは、好きだが、好きなことと、上手なこととは、違う。そんなことを、コンテンツ作りながら思った本日でありました。