新ガラマニ日誌

ガラリアさん好き好き病のサイトぬし、ガラマニです。

「望まない影響力に対抗するための20の方略」押入れ資料館より

お部屋の大掃除をずっとやっている。捨てても、捨てても、モノがなくならない、俺の部屋。なんでもかんでも、ため込むやつだからなあ、俺。

しかし、去年ぐらいから、俺は変わった。いや、意識して性格を変えるべきだと思った。数十年の生涯を経たのだ。捨てるべきものは捨てるべきなのや。新しい自分になるために。

こうした考えにより、「大捨て捨て大会」を開催してきたある日、精神面で、新たな発見があった。

俺が押入れに、ため込んでいるものの中には、貴重な情報や、貴重な作品が、たくさん、たくさん、ある。こうしたものは、俺だけの財産にしておかず、世界のみんなの財産にすべきではないか、と。

例えば、数十年前の雑誌記事。

聖戦士ダンバイン」のガラリアさん役の声優、西城美希さんのインタビュー記事などは、今では、読みたいと思った人が読むことが難しい状況にある。こういうものはサイトで引用して、多くの人に読んでもらいたいと思った。

ガラリアさん好き好き病日記その1
http://www11.ocn.ne.jp/~garamani/garalia.nikki01.html

他には、
例えば、大学の授業で配ってもらったレジュメ。
例えば、街頭で拾ったフライヤー。
例えば、絶版になってるレコード。

こうした作品は、厳密に法にてらせば、作者の許可を得ないと、サイトにアップロードはしてはならない。転載ではなく「引用」にするためには、引用の要件を満たす必要がある。(「引用の要件」がどんなものかは、この記事では省略する。)

さて、大掃除をしていた俺の手元に、出所のはっきりしないレジュメが一枚、あった。

この一枚のコピー用紙は、1990年代の後半ごろ、俺が心理的に迷っていたころ。心優しい親友が、「弟が、大学の授業でもらった資料なんだって。なにか、参考になったら。」と言って、俺にくれたものだ。

弟さんは東大生だった。これはおそらく、東大のパンキョー(一般教養科目)の心理学かなにかの講義で、配布されたものだろう。

内容が、実に興味深いものだし、筆者がわからないしで、捨てずにとっておいた。 この紙切れを、有効に活用し、内容を保存し、すりきれた用紙だけを処分するにはどうすればよいのか。

そうだ、ウェブにアップしよう。

前置きが長くなったが、以下が、このB4の紙切れの全内容である。漢字変換など、一部、俺が読みやすいと思う書き方に変更した。

「望まない影響力に対抗するための20の方略」


(1)ときには、「礼儀正しく振る舞うべきだ」「人の気持ちを傷つけるようなことはすべきでない」といった規範から逸脱する練習を行い、自分自身を違った見地から眺めてみる。


(2)「すみません」「私が間違っていました」と謝る練習をしよう。その場では、ばつの悪い思いをするかもしれないが、失敗から学ぶことが多ければ、それでよいのだ。


(3)問題を「型にはめる」ようなものの見方に注意を払おう。そのような見方を受け入れると、相手を優位に立たせてしまうことになる。


(4)金銭・自尊心・時間・努力などを短期的に失っても、それについて悩む必要はない。重要なのは、そうした損失を繰り返さず、過った(あやまった)判断から学んだ知識を蓄積することだ。


(5)いかなる対人状況であっても、相手と距離をおいて考える必要がある。「あなたの愛・友情がなくても、私はやっていける」ということを、相手に、そして自分自身に納得させることを厭わないこと。


(6)判断を保留することは、決して悪いことではない。何か急かされるような状況のもとでは、偏見のない公平な意見を求め、少し時間をかけて考えることが必要である。


(7)相手の言葉にごまかされず、理解可能な説明をするように強く要求すること。理解できないからと言って、落ち込む必要はない。下手な説明は、相手の言葉に欺瞞が含まれることの徴候である。


(8)役割関係、制服、権威のシンボル、署名、肩書、集団圧力、規制、みせかけの合意、義務、コミットメントなど、自分の判断や行動に影響を与える「状況の拘束力」に常に注意を払おう。


(9)あなたがゲスト(お客様)として扱われているとき、ホスト(接待者)との関係に注意しよう。ホストの「親切な」行為を受け入れることによって、行動の自由が狭められてしまうことがある。


(10)人の生き方、人間関係、経済や政治、国際関係など複雑な問題に対して、単純な解決法があると信じてはならない。とくに、それが他者から与えられる場合には注意が必要である。


(11)まったくの他人から即席に得られる無条件の愛など存在しないことを覚えておこう。愛情、友情、信頼というものは、時間をかけて自らも努力して作り上げていくものである。


(12)誰だかわからない人から影響を受ける立場に置かれたら、その相手と自分をはっきりと区別して特徴づけること。視線をきちんと合わせたり名前を確認することによって、自分と相手のアイデンティティを管理する。


(13)自分が統制できない状況、自由の少ない不慣れな状況を極力避ける。そのような状況に入ってしまったら、多少の混乱が起きても不快感をおぼえても、すぐに離脱しよう。最後まで離れなかった場合に被る損失に比べれば、安い「授業料」である。


(14)一歩身を引いて冷静な目で物事を判断する練習をしよう。とくに、策略をめぐらせる操作者とやり取りをすることきには感情を切り離すことが重要。


(15)お世辞に乗ってしまうことが、マインドコントロールしようとする人を調子づかせてしまう。自分が最も信頼している人を思い浮かべ、その人ならどのように考えるかを想像してみよう。


(16)罪悪感を感じるように他者から誘導された場合、それに駆られて性急に行動してはならない。とくに、それが他人によってお膳立てされた行動であるときには注意が必要である。


(17)人は一般に、慣れた状況のもとでは自動的に行動しがちになる。状況のわずかな違いに目を光らせ、自分が何をしているのか注意深く考えよう。


(18)行動の一貫性を貫く必要がない場合もある、と考えよう。「首尾一貫した信頼できる人にならなければならない」という考え方に固執して同じ行動をとり続けることが、まずい結果を招いてしまうことがある。


(19)権威に対して盲目的に従ってはならない。非合法的な権威に対しては、いかなるときにも拒否の姿勢を示す必要がある。


(20)手続きや規制の変更が不公正に行われた場合には、不快な感情を示したり口頭で議論を唱えるだけでは十分でない。従ってならないのはもちろんのこと、公然と批判し、反抗し、挑戦すべきである。


(Zimbardo & Anderson 1993)


【参考文献】
チャルディーニ『影響力の武器』1991年 誠信書房
西田公昭『マインドコントロールとは何か』1995年 紀伊国屋書店
カイザー『あやつられる心―破壊的カルトのマインドコントロール戦略―』1995年 福村出版
ハッサン『マインドコントロールの恐怖』1993年 垣友出版
シンガー『カルト』1995年 飛鳥新社

引用してみての雑感。

この講義がなされた1995年頃とは、オウム真理教によるテロが勃発した、あの頃である。講義は、オウム騒ぎをうけて、ものの考え方を鍛える意味合いで、話されたのだろーなーと想像した。

2009年の今日、この資料を読み返すと、色々な事象に当てはめ、自分に当てはめて、考えさせられることが、1990年代の悩みよりも、なお多く見つけられる。職場において。私生活において。ウェブ上での議論において。精神性を鍛えることは、いつの自分においても、重要な命題なのだと。もちろん、この資料を、冷静に批判的に、自分の頭で読む姿勢を含めてだ。

追記

ウェブ上にアップした後、検索エンジンで調べたところ。この文は、心理学者のフィリップ・ジンバルドーと、ジョン・R・アンダーソンの思想を、レジュメの筆者が、参考文献と併せてまとめたものである可能性が出てきました。こーゆー調査ができるのも、ウェブのエエとこやね。