新ガラマニ日誌

ガラリアさん好き好き病のサイトぬし、ガラマニです。

シャーロック・ホームズの最後のあいさつ コナン・ドイル著 阿部知二訳

このブログ書いとるじんは、いつまでホームズ本の話を、続けるつもりやろかー?と、もしかしてYouたちは、思っているかな?全9巻のホームズシリーズは、あと2冊で、オシマイだよっ。つまり、この記事と、あともう一回で、オシマイだ。

シャーロック・ホームズの最後のあいさつ (創元推理文庫 101-4)

SONY Reader ver

1917年の発行。『最後の』と、タイトルコールしてるけど、まだ終わりません!えっなんで!マジで!

ただーし!我が愛する、阿部知二たんの翻訳版は、これで最後のホームズなんです!ううっ…さびしい。俺、俺、鈴木幸夫たんのホームズも持ってるし、石田文子さんのも読んだし、この後、深町眞理子さんのホームズも読んだけどさ、うううっ、だんぜん、阿部知二たんが描いた、ホームズとワトソンの夫婦漫才が、好きなんだよ。

それから、例えば、ホームズが雇った辻馬車の馬方とかが、こういう言葉遣いするのね。

「ようがす、だんな。あっしにまかせてくんなすったら、たちどころに、そいつを見つけてみせまさあ。」

みたいな、阿部知二たんの文体が、日本語として、すごく勉強になったんだよ。労働者のしゃべり口調を、こういうふうに翻訳していたのは、確かに1970年代以前なんだよなあ…(注:阿部知二たんによって『最後のあいさつ』の翻訳がなされたのは、1960年。)これだから、好きなんだあ。読みたかったんだあ。SONY Readerストアで、買い込んだんだあ。買う価値があったんだあ。だって阿部知二たんのホームズ、紙媒体では絶版で、まとめて入手できないんだもん。

阿部知二(あべ ともじ)たんは、1903年生まれで、1973年に亡くなった。

ちなみにこの俺は、1969年生まれだ。この春、電子書籍で、子供のころから好きだった、シャーロック・ホームズシリーズを全巻読み直したが、ホームズが本当の最終回をむかえ、ホームズとお別れするのよりも、今回、俺は、阿部知二たんの翻訳文章と、お別れすることのほうが、辛かった。

さように、阿部知二翻訳は、他の追随を許さない。変人シャーロック・ホームズを、英雄視しない。(原作からして、してないからだが。)アフガン帰還兵で軍医の、ジョン・ワトソンは、戦闘力が高くて、美男子で、カッコいい。若いふたりが、ナイスガイなんだ。その点、鈴木幸夫たんのふたりは、じじむさい。オヤジくさい。石田文子さんのふたりは、21世紀のジャパンの圧力団体に配慮した、おとなしい発言をする。深町眞理子さんのふたりは、すごくイイんだけど、なんというか、普通すぎる。

翻訳家の皆さん、それぞれ個性があってイイんすけど、俺は、俺はね…たぶんね、1969年生まれだから、子供のころに読んだ外国文学の、翻訳文体のほうが、さいきんのそれよりも、シックリくるんだね。だから、ホームズシリーズを読了したこの後、世界の代表的ミステリー小説をどんどん読んでいくことになるんだけども、SONY Raderストアで、どの翻訳版を購入しようかと迷うと、なるべく翻訳年次が、古いほう、古いほうをと選ぶようになったんだ。

「瀕死の探偵」

この本に収録されている短編の中では、「瀕死の探偵」が、大爆笑ストーリーで、必読だ。ホームズがワトソン君に面と向かって、君の医者としての腕はダメだとか、君の医者としての腕を見込んでとか、落としたり持ち上げたりを繰り返す。死にかけのシャーロックが、ワトソン相手に、ウワゴトを言うシーンが、けっさく。

「きみの頭の心(しん)にある印象をそのまま――死にかかった――死にかかって精神錯乱してる男と、伝えてくれたまえ。大洋の底がどうしてぎっしりと牡蠣だらけになっていないのか、ぼくにはわからん、あんなに繁殖力があるのに!ああ、頭が混乱してきた。どうやって頭脳が頭脳を支配するのだろうか、ふしぎだ。何をいっていたのかね、ワトスン?」

「最後のあいさつ」

作者コナン・ドイルとしては、この小編こそが、会心の「最終回」だったのだろう。晩年に再会した、ホームズとワトソンの、変わらぬ友情。しかし変わりゆく世情…この時、1917年。時代はそう、第一次世界大戦の渦中へと、おちいってゆくのだ。

古きよきイギリス文化との、お別れ。まことに平和だったころの、ロンドンとのお別れ…

そして、すばらしい翻訳を俺に下さった、阿部知二先生との、これがお別れだ。