新ガラマニ日誌

ガラリアさん好き好き病のサイトぬし、ガラマニです。

ガラマニ日誌【33】05/7/10(日)私立今明館大学~入学編~

主題歌「グレイターこんめい」

♪(高らかにブラバン前奏)ちゃーちゃ ちゃーちゃ ちゃちゃちゃちゃちゃッ

「空は さなーがら 青春のぉー 胸の雄図(ゆうと)の すーがーたぁーなりー
あっふるる ちからッ 示すべくっ! エンジの旗ぁーをー なーびーかーせーてー
堂々 勝ちをー 争わんー
グレイター こんめいー グレイター こんめいー」

(かけ声)「フレーッ!フレーッ! こ・ん・め・いッ
アホッ!アホッ! どぉーししゃッ 死ねッ!死ねッ! きょぉー大ッ
好きっ♪好きっ♪ 京ぉー女ッ ワー」(歓声と拍手)

さて、今回のガラマニ日誌は、俺の大学時代について、語ろう大会である。

我が母校は、池田屋のある街の、西北部に位置する。
北に衣笠山(きぬがさやま)を臨み、西に竜安寺、東に堂本さんち、南にイズミヤがあるという、
絶景かな絶景かなを、絵に描いたような、すてき無敵ユニバーシチーなのである。

その名も高き、私立・今明館大学(しりつ・こんめいかんだいがく)!

誇るべき母校であるから、今回、俺は、仮称一切無しでお送りする覚悟である!!

 

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入学式の風景。アメフトチームが勇ましく、新入生を歓迎だ!

今明館と言えば、大学受験界では「関関同今(かんかんどうこん)」と呼ばれる、あの「こん」である。
また、学閥で言うと、「西の今明、東の法政」と称される、マルクス主義の牙城、
ようするに、もろアカ大学なのである。過去形だがな。

創始者は、西園寺キンキンという名の、お公家さんであり、開学当初は、
近衛今明(きんえいこんめい)と呼ばれ、勤皇をもって学風としていたが、
戦後、高度経済成長期に入り、日米安保問題が勃発、
日本中が、反体制な、全共闘な、学生運動な時代となると、今明館は、もろアカ化 し、
その後、単なるモラトリアム大学(※1)と化し、
さらに後、バカ用入試制度(※2)の導入により、語弊を恐れず言えば、単なる凡大と化した。

(※1)モラトリアムとは、猶予期間の意。厳しい受験生活が終わったとたん、
最高学府であるはずの大学で、ぜんぜん学問せず、テキトーに単位とって、就職するまでの4年間遊びまくり、
遊ぶ金欲しさに、授業を休んでバイトするという状態を指す。ガラマニが入学した頃の今明館が、これに当たる。

(※2)大学生のバカ化に拍車をかけた、指定校推薦入試制度に加えて、
一芸入試という、空前絶後のバカ用入試枠 を設置してしまった今明館大。これは、
高校卒業時の総合成績さえ規定値以上ならば、あと、一芸に秀でていれば入学させてあげるよ~んという、
意味不明、一般入試者の苦労台無し、脳内ふえるわかめちゃんなワクなんである。
指定校推薦と、学力レベルはたいして変わらない上に、
ようするにだ、ティーンエイジャー(死語)に、人気のある芸能人を入学させて、
今明館大の人気をも、アップさせようという、めまいがするほど姑息な、売名行為なのだ。
ガラマニ在学中にこれが発足し、学内で反対運動もあったのだが、当局はGOしてしまい、今日に至る。
このワクがなかったら、おしんの子役やってた子も、倉木麻衣も、今明館大には入れなかった。

つーか入るな。入れるな。

いくら高校までの成績が、中の上だったとしても、んなこたぁ当たり前なのである。
その上で、厳しい一般入試を、勝ち抜いた、大多数の今明館学生と、
指定校推薦ワクや、ましてや一芸入試ワクの学生とが、同じ学府の徒として並び称されるのは、はなはだ遺憾である。

さて、今明館の卒業生には、各界の著名人が多い。
重要な点は、卒業してから著名人になったということである。
著名人だから、テスト受けなくても、だいがくに入れてあげるよ~んな、一芸入試ワクの方々と、
以下に挙げる、本当に優秀で、かつ努力したからこそ、著名人になられた先輩方を、
同列に論じないでいただきたい。(最近、俺、このフレーズ好きだなぁ…ブツブツ)

野球選手では、古田敦也さん。長谷川滋利さん。
漫画家では、須賀原洋行さん。歌手では、ばんばひろふみさん。
我らがヲタクにおなじみ、声優さんでは、納谷悟朗さん、納谷六朗さん。
ガラマニと同じ日に入学式だった、ナイナイの岡村隆史さん。
岡村さんは、中退されたが、芸人になるため、その道のプロになるためであるから、
彼の大学中退は、当然の選択である。加えて岡村さんは、
今明館大でも、就職率の高い方であった経営学部に、一般入試で合格された、秀才である。
芸能人な高校生だからという理由で、一芸入試で今明館に入れてもらえた者とは、ぜんぜん違うのだ。
芸能活動に専念し、難関である芸人の道を行くのか。学業に専念し、定職に就く道を行くのか。
前者を取るが為に、今明館経営学部の籍を、潔く蹴った、岡村さんを、俺は、同期生として、心より尊敬する。
大学生は、学業に専念してこそ大学生なのであり、遊ぶ金欲しさで、バイトしてるうちに、
バイトの方が面白くなっちゃったから、大学なんか、めんどいからやめちゃえーな者や、
一芸入試の者と、岡村さんを、同列に論じ(以下略

 

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入学式場内。ガラマニと岡村さんは、学部が違うので、同席はしていない。

さて、今明館在学当時のガラマニは、どんな学生だったか?上記までを読まれれば、お察しがつくと思うが、

一芸入試制度に反対!一般教養科目廃止に反対!学費値上げに反対!各種学生運動に参画し、
大学に遊びに来てるやつ、授業休んでバイトに行くやつを、学生大会で糾弾し、
全学4者協議会では、教授陣にヤジをとばし、逃亡出来ないように議場封鎖し、
立て看板を作り、或いはけり壊し、湾岸戦争に反対するデモで池田屋のある街並みを、
拡声器でアジりながら(※3)ねり歩き、デモの終結地である円山公園(まるやまこうえん)で、
先輩にもらった、舶来の嗅ぎたばこを、鼻の穴から吸い込んでいたら、
デモ警備のおまわりさんに、マリファナだと思われて、
「まぎらわしいものを、往来で吸うな!」と叱られちゃったり…

ようするに、もろアカ学生だったわけである。
ま、60~70年安保の頃の、学生運動の闘士の方々に比べたら、ぜんぜん、おとなしいけどねぃ。
けり壊した、立て看板ってのは、いらなくなったのを分解したってだけだし(爆笑)。
70年安保時にゃー、あーた。学生間の内ゲバ(※4)でも、対・機動隊戦でも、死人出しとるでねぇ。

(※3)アジる…アジテーションすること。演説。
「我々はー!現日本政府のー!米国帝国主義追従姿勢にー!断然抗議しー!」みたいな、あれ。

(※4)内ゲバ…うちげば。仲間内で殺し合うこと。語源のゲバルトは、ドイツ語で「暴力」の意。
同語源の用語で有名なものに、ゲバ棒がある。70年頃のゲバ棒は、各大学・各派閥で、
それぞれ、殺傷能力を高めるための、工夫が凝らしてあった。
角材にささくれを刻んだゲバ棒で、敵の腕をガリッとやれば、肉がごっそり削ぎ落とせるとか、
機動隊員のヘルメットの、顔面部分を砕くには、木刀で突くのがいいとか、
機動隊員の盾をかわすには、しなりのいい竹材がいいとか…
ゲバ棒で物足らなくなった、活動家中の武力行使派は、火炎瓶や、手作り爆薬、猟銃の改造に手を染め、
最後には、あの、あさま山荘に立てこもったわけである。

だいたいが、俺は、高校生時、受験する大学のセレクトは、アカな大学、アカな大学をと、
入る前から、好き好んで、受験していたのである。
国立が望めない学力な俺は、私立文系コース。ならば、と、狙うは、私立でもアカなユニバーシチーのみ!
じゃによって、関関同今の、関西学院大学と、同志社大学は、はなから除外。
ガラマニ県ではステータスの高い、隣県フィロソフィア県の、南山大学も、アウトオブ眼中。
なぜって、ぜんぜん、アカじゃない上に、こいつら、キリスト教系なんだもんよ。
ガキん時から、やれ「マルクスの娘たち」だら、神は死んだ~の「ツェラストラかく語りき」だら、
パパママリバティーの本棚にあった本を、ウヒャウヒャ読んでいた俺が、なにが悲しゅうて、
キリスト教の大学なんか、行くかっつーの。
(ここまでお読みになって、ムカつかれている、クリスチャンの読者さんにあられては、
ちょいと我慢していただいて、続編まで読み進んでほしい。これは、大学入学以前の、俺の宗教観である。
後に、当のアカ大学、今明館大に入ったからこそ、この偏った宗教観が、是正されることになるのだ。)

同様の理由で、俺の成績で、受験可能な私立文系の、
国学院大学学習院大学は、脳裏にチラとも、浮かばなかった。
だって、俺はアカなのだ。サーヤちゃんのいるガッコに、入りたがるわけがない。
(ここまでお読みになって、ムカつかれている、皇室を尊ぶ読者さんにあられては、
ちょいと我慢していただいて、続編まで…以下略)
また、俺の好むところの、「アカ」とは、単純に「左翼」を指すだけではない。
バンカラ(※5)であることも、モラトリアム時代の末期、バブル最盛期にあって、
敢えて時代に逆行したかった俺が、好んだ学風である。

(※5)バンカラと言って、意味がわからない方に、説明するのは、非常に難しい。
60~70年安保時代の学生が好んだ、ファッションや、ライフスタイルを指す。
華美な服装を嫌い、贅沢品を持つことを拒否し、プチブル(=プチ・ブルジョア。小金持ち)になろうとして、
権力者に媚びを売ったり、株を買ったりといった、資本主義的な生き方に、背を向けること。
わざと汚した学帽、洗濯してない学ラン、素足にゲタ履き、手には焼酎が、60年代のバンカラ
すすけたジーパンに、破れたTシャツ、素足にゲタ履き、手にはゲバ棒が、70年代のバンカラ
バンカラ」の反対語は「キザ」だ と言えば、ご理解いただけるだろうか。

ガラマニが大学に入った頃の日本は、バブル経済の最盛期であり、ちまたの普通の若者は、
ブランドのファッションや、宝石を身にまとい、外車を乗り回し、スノボやサーフィンをして遊ぶ事が、
かっこいい事だと思っていた。だから、大学は、青山学院大学や、成城大学といった、
ハイソな雰囲気の、坊ちゃん嬢ちゃん大学に、人気が集中していた。
で、俺は、そういう風潮が、嫌いだった。彼ら、バブル期のモラトリアム大学生は、
完全に、大学に「遊びに来ていた」。当時の傾向を、マスコミは「大学の遊園地化」と批判していた。

こうした考えに立脚し、俺は、一年間の浪人生活を経て、念願の、もろアカで、もろバンカラな大学、
私立今明館大学に、入学したのであった…

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新歓にわく、キャンパス風景。入学式同日。

…ここで、ガラマニを待ち受けていたものは。
波乱と、歓喜と、そして挫折であった。アカとはなにか?バンカラとはなにか?
自分が望んでいたもの、欲しかったものとは、いったい、なんだったのか。
今明館大学は、そのすべてを、俺に、教えてくれたのである…

「練りて金鉄 ゆるみなく 山をも抜かん 力沸き
不動の勝利ッ 堅持して! 伝統担わん 雙(そう)の肩
いかで汚名 我が享(う)けん
グレイター こんめい グレイター こんめい!」