新ガラマニ日誌

ガラリアさん好き好き病のサイトぬし、ガラマニです。

ガラマニ日誌〔8〕03/8/27(水)「携帯電話とパソコン」その1

俺が、高校を卒業し、大学に入学して、初めて一人暮らしをした頃。

最初に入ったアパートは、6畳一間、その6畳の内側に小さいキッチンがあり、トイレと洗濯場は共同、お風呂は銭湯、電話は、玄関にある赤い公衆電話。

電話をかける時には、10円玉を入れ、かかってくる時には、住み込みの管理人さんが

「ガラマニさーん、お電話!」

と呼びにくる。そんな時代だった。しかも電話取次ぎには時刻制限があり、確か、朝8時~夜7時までだったと記憶している。

そのアパートの俺の部屋は、1階の突き当たりで、日当たりと風通しが激悪だった。東向きの、ひとつしかない窓を開けると、そこは一面 ブロック塀 なのだ。一日の日照時間が、春なのに、15分間。

「ここで夏を迎えたら、死ぬな~」と思い、夏前に引っ越した。

クーラー?テレビを置く場所がなくて買えず、北京事件のニュースを見せてもらいに、友人宅を訪ねてたくらいですぜ。だいたい、窓の前10センチに、前面ブロック塀があって、どこにクーラー設置できましょうか。引越しの動機は、その、日当たりと風通しの悪さであった。

新居は、当時、級友たちに羨望された、ワンルーム・マンションであった。6畳+ユニットバス、2畳のキッチン。そして、有線の電話回線を繋いだ。実家にすらなかった、留守番電話機能付き電話器だ!

これが、地獄の時代の前触れであった…

(ちなみに、テレビと電話を買ったら、クーラーを買う金は残らなかった。)

留守番電話、最初は、「便利だなー」としか、思わなかった。応答メッセージを録音するのが、楽しみで、大学で級友に

「今、うちの電話にかけてみて!」

などと、はしゃいでいた。勿論、大学からうちにかける電話は、緑色の公衆電話だ。

…3年後。4回生になった頃。異変に気がついた。

まず、間違いファックス。これが、卒論で苦しんでる最中に、ガンガンかかってくる。トゥルルルーッの音で、出ると、ピキィ~キュルキュルキュル~である。これが何回もかかってきて、鳴り止まない。かと言って、電話線を抜くと、大事な用件でかけてくる人の電話に出られない。この頃、それを遮断する術は、なかった。

次に、喋りたくない者からの、留守電。えんえんと、テープに、

「ガラマニさんは…ボクと結婚するんだよね(←断定口調)…今度の土曜日は大切な日なんだぁ…ボクは指輪ぁ~をぅ、贈るよぉ…」

誤解のないように、言うがッ!こやつとは、土曜日の他学部校舎での、講義いっこだけ!で、許可もしてないのに、毎度隣りに座られ、頼みもしないのに、講義後、強引に喫茶店に誘われ、コワイから、いやいや、コーヒー付き合ってたら、勝手に、結婚とか結婚とか結婚とか、婚約とか、指輪とか、大切な日とか、ゆーとるだけなんであるッ!!!! キャーァーイヤァーアーアーアー

こやつ、当初、講義で知り合った頃には、喫茶店に行っても、さっきの授業についての話ししか、しなかったから、学友扱いだったのだ。電話でも、俺が出た際には、比較的マトモな話しをしていた、ところが、

<留守電>というアイテムが、奴の人格を変貌させたのだ。否、本性が表れたのだ。ここが第1のポイント!

無視してると、次の日また、留守電に、

「ガラマニ…(←勝手に呼び捨てかい)…子供ができたら一緒に育てようね…」

どこの世界に、喫茶店で茶ァーしたら妊娠する人間がおるのだッ!キャーァーイヤァー

住所を教えてなくて、よかった。これに懲りて、その後、たいして知り合いでない人には、自宅の電話番号は、教えないようになった。

しかし。それでもまだ、事態の深刻さは、増すばかりであった。

大事な知り合いであっても、何時でも電話が通じることと、留守電があることの、<気軽さ>から、ひょいとかけてくる。今日の昼間、

「今夜は卒論を頑張るから、飲み会は行けない、ごめん」

と断った先輩が、夜9時頃、かけてくる。当然、番号通知とか非通知なぞ、ない時代、実家からかもしれない、誰かわからないから、電話に出る。

俺は、丁度、テレビをつけて、夕食を食べていた。電話ごしに、テレビの音が、相手に聞こえたわけだ。

先輩「卒論を頑張ると言ってたじゃないか。なぜテレビなんか見て、遊んでるんだ」

俺「今は、ご飯食べてたとこです」

これで終ればいいが、相手は、酔っ払っているせいもあって、何度もかけてくる。俺は、大の テレビっ子(死語)なので、常時、テレビはつけていた。卒論の内容で、相談にのってもらっている、この先輩は、テレビをつけながら論文を書く行為が、許せない、バンカラ(これは、死語にしたくない)で、電話の度に、怒られるのだ。

「ガラマニ!ま、まだ、テレビなんか見て遊んでるのかぁー!」

…あぁ、電話さえなければ!この時、こう思った俺は、早計ではなかったと、2003年現在、痛切に、感じるのである。

この先輩は、いたっていい人物である。テレビをつけてる俺が悪いのでもない。先輩は、飲み会にて、議論をし、その話題の中で、俺の卒論のテーマに関わる事が出ると、忘れないうちに、電話で知らせてくれようとしただけである。後日、当人と会って話し合えば、問題は、解決できた。

会って、話し合えば。これが第2のポイント!

2003年の今、この「会って話し合う」という、基本的という表現では、手ぬるい、およそ、人間の存在意義に関わる重大行為が、おろそかになってはいないか。

卒業後、地元で就職し、実家の自室に、有線電話を引っ越した。さて、ここから、また、新時代の地獄が始まった。

俺が就職した頃の、およそ、日本中のほとんどの<職場>と呼ばれる場所において、勤務時間中!に、やるべき仕事の、重要項目に、「連絡・報告・打ち合わせ」があったはず、だ。

さっき、本日の終業会議を終えて、帰宅した後に、職場から電話がかかってきたとしたら、それは、よほどの重大事態だった。終業時までに、俺がやるべき事をしてなかったとか、他の人が、重要な、夜中に電話するほど重大な!ミスをしたとか、上司が死んだとか。

そういう用件であっても、職場の人間として、電話をかけてくる者は、たとえ新入りの俺から見て、はるかに目上の立場の人であっても、

「こんな時間に、すみません。今、お話ししてもいいでしょうか」

という言い方をしたものだった。休日なら、なおさらであった。

最近、俺は、この、業務連絡の在り方の変貌ぶりに、ホントに、マジで、ムカつくんである。おかしい。絶対、おかしい。なぜ、2003年現在、この<勤務中に確認すべき事項>を、皆が退勤するまでにちゃんと話さず、夜とか休日に、思い出したとか言って、ダラダラ、ダァ~ラダラと、携帯メールで知らせてよこすことが、当たり前みたいになっているのか。

それも、明日、現場で会ってから言っても、全然遅くないような連絡をだな…俺が、楽しい楽しい、テレビを見ている最中にだな、うざい着メロ(うざい奴限定曲)鳴らしてだな…

「件名:ガラマニさんへ
本文:連絡メモに書いてなかったんですけど(←書いとけ)、
明日はXさんへ電話入れてアポとってから(←お前に言われなくてもそんなの常識だ)
私が行くので(←それを俺にわざわざメールするのはなぜだ)
留守中にYさんからもしも連絡あったら(←もしも、でパケ代使わすな。テレビの感動を奪うな)
正午までには折り返し連絡しますって言って下さい(←お前が連絡すべきは、明日のXさんとYさんだけだ。今の俺じゃない)」

しかも、前回の日誌で書いたような…ひ、ひ、人が身内の葬式に出ている時に、携帯メール…みたいなもので、

「メインパソのバックアップとりましたか」

アァ?ハァ?お前の葬式出すぞオルアッ!!

よそ様の「死」を前にして、邪魔だてできる存在が、メインパソのバックアップか。俺は、忌引きで欠勤します、申し訳ありません、と、関係各位に<勤務中>に連絡し、バックアップも含めて、休みを取る日数分の仕事を一日で行い、留守中の仕事の引継ぎも充分して、それで休ませて、もらっている。そのメールをよこした者は、他の部署なので、俺は直属の上司に、「済んでます」と報告も、してある。詳しい状況は、省くが、とにかく、こいつに直接「できてます」と言う必要はないのである。こいつが、俺の上司に、明日聞きゃー済む。或いは、そんなに急ぐなら(実際には急ぎではなかった)俺が出勤してた昨日の夕方までに、<勤務中>に確認しておけば済む。

なんで通夜の夜中に、メールするか。しかも、こいつとは、職場<以上>の関係で<友人>になっていたわけではない。むしろ、心中で、やな奴、と思っていた。

これが第3のポイント!仕事先で、意気投合し、友達になったり、恋人になったりして、勤務中には、話せなかった、愚痴や、噂話し、これを、電話やメールですることは、大いに、アリだろう。重要なのは、どこまでが<おおやけ>で、どこまでが<プライベート>なのか、である。

これを逆に言えば、この線引きのできない人とは、友達にも恋人にも、なれないのである。本当の友達は、「お葬式たいへんだったね。無理しないで体大事にね」という陣中見舞いメールをくれた。みんなありがとう。

さて、ここまでの論点を、まとめてみよう。

1)留守電・携帯メール・ネットなどのアイテムによって、人格が豹変する人がいること

2)会って話し合う行為がおろそかになっていること

3)職業上での話しと、プライベートでの話しの線引きができない人が、近年増加傾向にあること

まず、1)について、話しを2003年に戻して、考えてみよう。このサイトを読んで下さっている方々には、ガラマニの本物を知っている方と、知らない方がおられます。リアル友な方々から、

「ガラマニさんってダンバイン好きだったの?わたしもだよ」とか、
「小説読んで、あの、ガラマニさんって、真面目なイメージがあったので…びっくりしました」とか(あははははー…この先もっとエロくなるアルよ!)

こういった現象は、まぁ自然、と呼べる範疇でありましょう。同人誌を、友達に配るのと同じである。

ところで、読者の皆さん、出会い系サイトでなくとも、ハンドルが!男女混交の、チャット等で起こる現象は、よぅく御存知ですよね…全然、エロがテーマでないチャットで、

俺(女名)「はじめましてー、よろしくお願いしまーす」
男「今なにしてる?」
俺「ん?チャットしながらテレビ見てる」
男「オナニーして!パンティー脱いで!濡れてる?濡れてる?オレ勃起してるよ!」

…あーハイハイ、無言落ち。つーかさ、あんたさ、合コンで俺に会ったとして、初対面から、

「スリーサイズは?体重は?何人経験してるのハァハァ」って言わないだろ。

これは、まだいいのだ。知らない者同士がハンドルで、顔を見られないから、メタクソ言うのを、やみくもに規制しようとする向きには、俺は反対だ。忌憚のない意見を、リアルタイムで交わせられる点が、ネットの、最大の良い面であるから。この点については、「月下の花」のあおりで書いた通りである。管理人(発表者)の恣意で、運営されて然るべきである。

しかし、問題は、この1)の点に、2)の点が介入した際に、深刻となる。
…さっきまで、俺と一緒に会って話していた、お前。言いたいことは、充分話せる機会があっただろう。それなのに、なぜ、「言いにくいこと」を、帰宅した俺の<留守電>に入れるのか?さっき、会っているのに、面と向かっては言えなくて、留守電や、メールで言う。

これが、許せない。会っている仲なのに、留守電やメールでしか言えないようなことがあるなら、

お前には、他人と対話する資格がないという意味だ。

いや、俺という個人が許すとか、許さないとかだけの問題だろうか。俺は、留守電というアイテムが、世の中に浸透した頃に、既に、危機感を持った。

これは、ヤバいな、と。人間の、対話=言葉=アイデンティティーの崩壊になりそうだ、と。留守電の次には、ポケベルが来た。これでいよいよ、世の中狂ってきたと実感した。

ポケベル時代、俺の友人に、新聞記者がいた。ただでさえ、休日のない人である。ようやく休みがもらえて、外食ばかりの彼に、俺が手料理を作って、さあ食べようとした時、ベルが鳴る。当時、ポケベルを持っている人種は、彼のような職業の人だけであった。呼ぶ者は、仕事。

「ごめん、せっかく作ってくれたのに。事件だって、すぐ行かなきゃ…」

そして、彼は、俺のシチューを食べることなく、他支社に移動し、二度と会うことはなかった。

そして、高校生でもポケベルを持つようになると、

「シヌホドアイシテル」

とかいった言葉を、簡単に、毎日、送信し始めた。

死ぬほど愛してる。こんな、ひとひとりの人生に、一度か二度かしか言わなかったような、面と向かっては、滅多に言えなかったくらい、真剣な、大切な言葉を、カタカナで毎日送信する。

現在では、これが携帯メールになっている。

死ぬほど好きな人を、目の前にして、緊張して涙をこらえて、震えて、「好きです」と告げる。それが、人間じゃないのか。震えるから、泣きそうだから、「好きです」という言葉は、「好きです」という意味を持つのじゃないのか。

では、ガラマニよ、昔の、手紙による文通はどうなのか、と。メールも同じじゃないか、媒体が、郵送と電信とで、変化しただけじゃないか。昔から、面と向かっては「言いにくいこと」を、手書きの書簡で送ったりしていたじゃないか、と突っ込んでみる。

全然、違う!!

パソコンのEメールは、まだ、手紙に近い(でも近い、だけだ)役割をはたしているだろう。俺が、一番恐ろしいのは、携帯電話だ。

携帯電話の、発明と、この短期間における普及は、かつて人類が、「時計」を持ったことで、「時間」という概念に、人生を縛られ始めた、あの、人類の生き方全ての、大転換に匹敵する、革命である。

携帯電話によって、今、俺たちの、生き方そのものが、アイデンティティー自体が、変わって行きつつある。

このテーマ、俺は、大真面目である。マジギレモードである。