新ガラマニ日誌

ガラリアさん好き好き病のサイトぬし、ガラマニです。

ガラマニ日誌〔9〕03/10/11(土)「携帯電話とパソコン」その2

「時計」がなかった時代、「時間」はなかった。

晴耕雨読
あぁ、今日は晴れてる、畑仕事しよう~。働いたら疲れた、寝よう~。
鶏の声で起こされた。雨だぁ、おうちで本読んで、あふーウトウトしてきた。
昼寝しよう~。目覚めたら、お空が赤いぞ。
これは夕方なのかな、早朝なのかな。段々暗くなってきた。夜かぁ。
夕食は、この村一番の、長老んちで食べた。長老は、何歳だかわかんないけど、
とにかく、ウチの村では一番の年長者、らしい~。

「時計」を持った人類は、

二個目の目覚まし時計で起きれなくって、二度寝しちゃった!7:21?!やべッ!
着替えて洗顔してコンタクト入れてたら、トーストの朝食とる時間は残らない、
駅まで徒歩10分、走ったら6分、今、家を出なければ、
7:52の電車に乗れない=遅刻する=ダメ社員と見なされる=不景気
=バーン・バニングス、いや、リストラ対象になる、俺ァ黒騎士にはなりたくないッ
わたしは勝ちたい、わたしは他の奴には負けたくない、
わたしは四大の出だったはずだぁーッ!!w

このように、「時計」の発明によって、人類は「時間」を持った。
つまり、「時計」=「時間」という構造が、人間の「存在意義」「人生観」まで変えたわけである。

さて、携帯電話。俺は、世の中が、どんどん、今時、携帯当たり前、な風潮になっていっても、長年、持つことを拒否していた。「携帯電話大嫌い同盟」 略して KDD の副会長を自称していた。

ケータイを使う、周囲の人々を見るにつけ、なんて恐ろしいアイテムだろう、と慄然としていた。

例1)1年以上も、会えなかった旧友と、パスタのお店に行った。
美味しいね、久しぶりだね、元気そうだね、と会話していると、旧友のバッグの中で、携帯が鳴る。ピリピリピリィー!すると、旧友は、ピリピリ鳴るものを即座に取り出し、サッと立ち上がり、レジの向こうへスタスタ歩いて行き、「誰か」と喋っている。その間、俺は、電話、まだ、終らないのかな、と思いながら、ひとりでパスタをすする。

…今は、俺とあなたの、ふたりの時間(=場所)ではないの?あなたの電話の相手は、聞けば、ここから150km以上離れた所にいる、あなたの会社の人。その人は、俺は知らない人だし、俺とあなたとの旧交の場(時)に、どうして紹介もされてない他人が、踏み込むの?待っている俺が、お皿のパスタを食べ尽くしてしまうまで、邪魔するの?

俺は、この旧友を責めているのではない。おかしなもの、邪魔者、それは携帯電話である。

例2)数人のグループで、海岸へ釣りに行った。
夕刻になり、帰る人々、まだ釣りを続ける人々で、別れた。俺は帰る中にいた。長い防波堤を歩いて、時々振り返り、釣りを続ける仲間たちと、彼らの背後の、水平線に沈みゆく太陽を眺めていたら、俺の隣りを歩いていた友人のポケットの、あの機械が、パリラリラ~!と鳴った。歩きながら、彼は、電話に向かって喋りだした。俺は、電話の相手は、てっきり、「ここにいない遠くにいる人」だとばかり、思った。電話を耳に当てながら、彼は、防波堤の先端を振り返り、電話を切り、言った。
「今、カレイが釣れたから、持って行かないか、ってさ」
…見れば、釣りを続けていた、ほんの150mほど、離れたあそこに立っている人も、携帯電話、を、片手に持って、こっちを見ていた。

…この光景を、見て…おかしいだろお前ら!おーい、って呼べばいいじゃないか、竿を持ってない仲間が、おーいって、走ってくればいいじゃないか、おかしいよ、絶対、こんなの、ヘンだよ!

こう思った俺のことを、「ガラマニの方がおかしい」と思われるなら、俺はおかしい人でいたい。水平線の、あの太陽さんは、俺の気持ちをわかってくれると思うから。

例3)カウンター席しかない、落ち着いた雰囲気のカクテルバーにいた。
長細いカウンターに座る、企業戦士たち。独身者も既婚者もいる。彼ら一人一人の背後の壁には、彼らが脱いだ背広の上着が、かかっている。

ここは 隠れ家 的バーだ。俺が今ここにいることを、誰も知らないさ…だから、ゆっくりくつろげる。カクテル、アレキサンダーの甘さをしみじみ楽しめる。そこへ。壁に掛けられた、上着の、どれか、から、ピリリリリーッピリリリリーッ!途端に、カウンターでくつろいでいた、俺以外全員が、がばぁと振り向き、「俺の携帯かッ?!」と上着をまさぐる…

…この光景を、見て…あぁ、携帯持ってなくてよかった、と思った。ピリリリリーッの持ち主男性は、焦って言い分けしている。

「あぁ、うん、仕事で遅くなって、今?会社帰りだって、ホントだよ、うんまっすぐ帰るから」

工藤静香の名曲「抱いてくれたらいいのに」に、こんなくだりが、あった。

♪こんな場所にふたりが いること誰も知らないのね

この歌詞の、グッとくる情景は、もはやこの世から、失われつつある。

例4)電車に乗った。
その頃、まだ、車内での携帯電話<マナー>への不文律も、「携帯電話のご使用はお控え下さいポスター」もなかった。そして、着信メロディーなるものが出回ってきていた。

車内の、色んな人々の、着メロと、「大声の独り言」が聞こえてくる。

20歳くらいの女性「ええ、今、実名社名に向かってます。それが、昨日、実名病院に行ったら、実名同僚のカルテが、実名病院の脳外科で止まってるんで、実名弁護士に相談したら、それは実名保険会社には言わずに、先に実名社名に、言った方がいいって言われて」

…この女性の携帯、彼女が切っても、何度かかかってきて、着メロが
♪ハイホー、ハイホー、うちーへかえろーう♪
だった。…ホントにあんた、家へ帰った方がいいよ。そういう話しは、自分ちでしたら。

40歳くらいの男性、上品で落ち着いた人に見えた、が、「大声の独り言」で、その印象がくつがえった。
「ああッ?!バカか、お前!納品済ませとけって、言ったろ!俺が30個って言ったら30個なんだよッ!20?ふざけてんのか、お前、仕事なめてんのかッアァッ、おーれーが、俺がよぅ!言ったんだからその通りに動けばいいんだよ!俺がリーダーなんだよオウッ!」

…この男性の着メロ、
♪ぼっくらのクラブのリーダーはー、ミッキマウスミッキマウスミッキミッキマウース♪
だった。…あんたがリーダーじゃあ、仕事やる気もうせますぜ。

25歳くらいの男性、流行の服装、でもキザじゃない、大人しそうないい感じの青年に見えた。彼の着メロは鳴らず、自分からかけた。
「もしもし、俺。今夜の合コンの仕切り、どうなった?みゆきちゃん呼んだ?えっ、みゆきちゃんは来れない?なんで?マジ?なんだよー、みゆきちゃん目当てだろ!他の女はどうでもいいじゃん。数集めりゃーいいんじゃないよ。みゆきちゃん来ないんなら俺、行ったって喋らねえからな!あんなブスども相手にさぁ」

…これらの文章、俺は大げさに書いてない。実際はもっと、だった。携帯の<マナー>が、ある程度、浸透した最近だって、路上や、或いは、職場の廊下で、こういった「独り言」は、途絶えない。でしょう?

これは、<マナー>という、対人関係における、表面的な<行為>の問題ではない。俺みたいな、こういう人々を見る者の目の側=行為者を評価する他者、の考え方の問題でもない。各人の、その人の在り様、生き方、存在意義の根本に関わる問題だ。

人前で、個人的な話しをする。知らない人に、自分はこんな事を喋る人間だ、と知らせる。知っている知人の前でも、他の知人と、どういう喋り方をするのか、どういう内容を話すのか、見せる。

<マナー>が悪い人、悪くない人って、区分でいいのか。違うと思う。

こう考えた者は、勿論当時からたくさんいて、「恥を知らない若者」とか、公共の場で音や声を、勝手にたてるのはうるさい、とかマスコミ等で言われて、次第に、携帯の<マナー>は、定着していった。

でも、未だ、<マナー>だけでは済まない、人格破壊革命は、始まったばかりだった。

そして、携帯電話は、会話用+メール機能が、定着した。

俺は、KDDの会長に会って、頭を下げて、どうか、許してくれ、と言った。友人間(プライベート)なら、携帯を持たなくても、関係を継続できるけど、もう、職場で、携帯を持たずには、なんか、社会人じゃないみたいに言われるんです。仕事を回してもらえないんです。

「ハァ?ガラマニさん、携帯ないって?なんで?車で移動してなんぼ、の、この仕事で、どうやって連絡しろって言うの?」

いつの間に、世の中は、こうなったんだろう。ほんの、数年間の出来事だった。そして今、俺の手元には、あの恐ろしい、ケータイ(自費。私物)がある。

さて、ここが第1のポイントである。
ポケベルも携帯電話も、出回った最初の頃には、職種によって必要ならば、職場から支給されていた。前回書いた、新聞記者のポケベルも、「会社に持たされた」ものだった。仕事で使うものなのだから、その機能を覚える事も、持ち歩くことも、<労働>だった。労働とは、賃労働である。

賃労働とは、「自分の時間を売る行為」である。
労働は、<おおやけ>であって、<プライベート>では、ないのである。

仕事で、義務で動いている時間内と、私的な、好みで動いている時間内、これをはっきり、区分けすること、けじめをつけることが、産業革命以来、賃労働と資本の原則で生きる人間の、生き方だったはずだ(過去形)。

携帯電話が、会社のお金で支給されていたままなら、過去形にはならなかったかもしれない。ところが、今や、どこの職場に行っても、朝から晩まで同室内に座っている職種でも、携帯電話(自費。私物)が、<おおやけ>に利用されてしまう、したくなくても、せざるをえない社会になったのだ。

携帯電話は、まずもって、賃労働と資本の原則を脅かしているのだ。

月々のパケ代は、数百円かもしれない。メールの大部分は、<プライベート>のもので、
<おおやけ>のものは、少数かもしれない。

しかし、いったい、いつから、誰が、俺の自費で買ったものを、使っていいって、言った?営業先から、携帯で連絡しろ、だって、電話代払うの、俺だけど。

交通費の出ない職場で、ガソリン代自腹なのと、同じことだろ、大げさだよ、と、突っ込んでみる。

違う。金銭的な問題だけだったら、賃労働と資本の原則は、崩壊しない。

プライベートに、仕事が、介入してきた。
この逆ならば、崩壊しなかった。会社に縁故で入っても、職場に家族が訪ねてきても、上司と不倫していても、影響されたのは、仕事の領域の問題=おおやけの自分、だった。仕事に、人生の全てを賭けている人であっても、超プライベートな時間に…
例えば、デート中、例えば、大切な人が事故等をして、心配している時に、その自分の気持ちを萎えさせ、損ねるような着信音を、発言を、携帯みたいに妨害されることはなかったはずだ。

私的な、空間と時間に、おおやけが、介入したから、事態は深刻なのだ。

携帯電話によって、「親しき仲にも礼儀あり」の、意味が、変わってきた。

ここが、第2のポイント!変わったのは、<礼儀>ではなく、<親しさ>の方なのだ!

<マナー>ではなく、<人格>の方が、変わってきたことこそ、最も重大な問題なのだ。

ある女性、俺の友人。彼女とは、職場で出会った。彼女と親しくなって、メールや電話で、勤務中には話せなかった、愚痴や、噂話しや、私的な話しを、するようになった。

彼女は、俺に送るメール文でも、電話でも、お茶しながら話すのでも、おおやけと、プライベートとの、けじめを、しっかり付ける人だった。

「ガラマニさん!お疲れ様~。まず業務連絡させて、ごめんね。退勤する時、上司がいたから、言えなかったけど、明日は、本社のあの人が来るらしいからアレはこうした方が(中略)、で、ここからは自分の話しね!彼がさ~こんな事言うのよ~」

「ガラマニさんへ!今日みたいに、本社のあの人のお喋りに、乗せられると、自分の仕事できないでしょう…受け流して、手は動かさないといけないと思うよ。で、ここからは、ぶっちゃけトーク。本社って最低よね。ああいう奴がなんで(後略)」

こういう彼女だったからこそ、彼女が、<親しくなったからといって、業務上の忠告をしなくなる人>ではなかったからこそ、俺と、彼女とは、友情を持てたのだと思う。

友情は、馴れ合いではないからだ。彼女は、俺への注意をする、職場の先輩としての責務と、友人としての情愛とを、併せ持ち、双方を確立させ、仕事でちゃんと頑張った分、友情も深まり、友情が深まった分、仕事も頑張れる、そういう関係を、そういう俺を、くれた。

彼女との、関係において、携帯電話とメールは、良き役に立ったのだ。ちなみに、彼女と俺とは、ほぼ同年齢だ。

「親しき仲にも礼儀あり」…変わったのは、親しさの表現の仕方…
さて、2003年現在の自分と、周囲の、<連絡媒体>について、つぶさに見てみよう。

俺自身が、振り回されている。列挙してみよう。

有線電話=留守電がセットされているか、されてないか。
留守電であっても、家にいないのか、居留守なのか、お風呂入ってるのか。
非通知拒否にしてるから、何度かけてもツーツーなのか。

携帯電話=電源オフか、マナーモードか、留守電センターに録音したか、着信履歴に残るか、非通知拒否か、俺の着信を拒否設定にしてるのか。

携帯メール=ちゃんと届いているのか、レスポンスの間隔は人によってまちまち、レスが早い人が今回遅いのは何故か、内容がいつも長い人が今回短くてそっけないのは何故か…

更に、PCでは=生アドでやり取りしているか、ウェブメールだけの人か、自分のHNや相手によって幾つかのアドを使い分けているから、どの人がどのアドでやり取りしている人なのか、

更に、PCメールでやり取りしていた人に、携帯も教えた場合、どっちで連絡くるのか、俺がどっちで連絡するべきか、PCメールへの返答を携帯でしたら次はどっちだ…

これら全てを把握し、使い分けなくてはならない。使い分けだけなら、整理すればいいけども、

電話は喋る言葉だし、メールは書く言葉なので、相手に失礼のないように、と思うと、レスは早くしなくちゃ、とか、でも急いで書いて気悪くさせる事送っちゃったらいけない、とか、たいへん気を使うし、また、
「携帯教えてとか、こっちに送って、なんて言ったけど、ウザがられないだろうか」
とも思う。相手が、自分にとって大切な人であればあるほど、送信に気を使い、受信内容とレスの間隔に振り回されている。

気になる人の携帯に電話した時、相手がドコモだったりすると、
「おかけになった番号は 電源が入ってないか 電波の届かない場所にあるので かかりません」
だったりなんかするから、寝てるからオフにしてるのか、わざと俺の着信をシカトしてるのか、シカトしてるのをわからせないようにオフにしてるのか、それぇともぉ、どこの地下潜っとんのじゃぁぁぁぁ

という気苦労が課せられる。

ガラマニが気にしすぎだ、と言われればそれまでだが、そうかな?俺一人が、気にしなければ済むかな?

路上で歩きながら、自転車に乗りながら、一心不乱に携帯メールしている若者をよく見る。
(だから最近、こういう若者を狙う、ひったくりが増加したと報道で見た)
また、聞くところによると、大学の授業中に、携帯メールしている若者も多いらしい。
(最高学府の学生が、講義中にどぉしても連絡し続けなければならない理由は稀有だと思う。もしかして、同じ教室にいる学友と、先生の悪口言い合っているのか。そんなことは授業後にいくらでも思うさま語り合えや。学友の、顔を見てな)

俺の職場には、勤務中に携帯メールしてる輩もいるが、これら、<マナー>が悪い、態度が悪い、で済ませていいのだろうか。

…携帯電話によって、他者との付き合い方、親しさの意味あいが、違ってきてやしないか。

これが俺の論点である。

特に、繰り返すが、職場(おおやけ)と、友情(プライベート)との、けじめができていない者が、増えてきたように思う。学生ならば、授業中は、自分と講義との一対一の勝負であり、休み時間は、友達と、フェイス トゥ フェイス で議論する、個人対個人の勝負であるはずだ。

俺自身が、連絡媒体に振り回されているから、えらそうな事は言えないから、こそ言うが、直に会っている時に、言えないことを、電話は喋りだから、返答につまると困るからって、後からチマチマと、メールでコソコソと、送るくらいなら、

言うなよ

と、思っている。勿論、会ったことのないメル友・ネッ友や、遠方で会う機会の少ない人、電話代が高くつくから長文のEメールで、という関係の人は、除く。

俺が、「そんなことメールするな」と憤るのは、さっきまで会って喋っていたのに、「またね~」と笑顔で別れたのに、メールや留守電で

「これっきりにしよう」

とかなんとか寝言ほざくボケカス連中のことである。死にたいか。そんなに死にたいか。w

…このテーマ、俺、たぶん卒論より熱心に書いている。w
冗長になってきたので、また練り直すとしよう。まだまだ言いたいことはいっぱいあるから、論点まとめて再来するとしよう。