ガラマニ日誌【24】04/9/19(日)大義?ふん、姑息だな!
注:今回の日誌は、全文、ガラマニの地元方言にてお送りします。
今日は、連休なかびの、日曜日やにー。
いつもの日曜やと、夜の「新選組!」は楽しみではあるんやけどー、
「明日は会社行かなかん…」
という憂鬱感を、否めーへんとこがあるで。ほいでも、今日はそれが無いで。明日も休みやで。至極、上機嫌で、視聴後感想を書いとる。
上機嫌なのは、連休だからだけでは、ないんやて。
今日の放送で、桂小五郎さん、あ、いや、木戸さん、キミは、でーれーえーこと(たいへん良い事)ゆったで。俺、感動して、小見出しにしてまったぐらいやに。
薩長同盟を締結するとさいが、長州藩代表、桂さん、いや木戸さんは、長州は、幕府に咎められるよーな悪い事はしとらへんと、ゆったって。と要求。
これに対して、薩摩の西郷どんは、
西「それはゆったってもええけど、これ締結してまって、薩長VS幕府になって、もしも負けてまったら、あかんやん。うちら損やん。」
と、ごねたんや。別室におる2人の間を走り回っとる坂本さんは、仲わりーもん同志の仲介に必死こいとる。
西「戦になって、うちらが、負けたらどーするんやて?」
坂「負けーへん。」(負けません)
西「ぜってーかて。」(絶対ですか)
坂「ぜってーじゃ。」
西「幕府相手に、戦するっちゅーとさいが、ぜってーみたいなもんはあらせん。うちんたーがほしいもんは、大義(てぁーぎ)なんじゃ。」
坂「大義(てぁーぎ)がえーんかて。ほんやったら、締結の、条文の最後(しゃーご)に、ぜんぶ朝廷のためやって書いといたらえーが。幕府のために働くんやのーて、うちら、みかどのためやとか、まーなんでもえーが。適当にそーゆー感じにしときゃーせ。」
坂本さんのこのアドバイス、つーか入れ知恵を飲んだ西郷どん。これを坂本さんが、別室の桂さんにゆったところ。
桂「大義やと?なんちゅーひっきょくさいじんじゃ!」
(大義だと?なんという姑息な男だ)
この台詞が、俺、聞きたかったんや。
でーれー感動したわ。まーすげー嬉しかったわ。
大義。
俺、この言葉、でーきれーなんじゃ。
まーつまり、こういうことやわ。今日の「新選組!」で、坂本さんたーが言っとったよーに、大義みたいなもんは、表向きの言い訳なんじゃ。みんな大人やで、やらしーこと(本音)は、よー言わんで(言いにくいのでお茶を濁したいので)、大義名分掲げとかんと、反幕府とかは出来ーへんちゅーことやん。
薩長同盟は、歴史上の大事件やって言われること多いみたいやけど、そんなん、いっくらでもあるやん。
ちゅーかさー、国家間の戦争や、政治的取り引きは、こんなんばっかやん。
犬猿の仲が、意表ついて手ぇー結ぶ。自分たーの利益のためなら、主義の違うもん同士やったって、手ぇー結ぶ。ほーゆー時には、たいげー(大概)、大義を言うやろー。
薩摩と長州が同盟するのが、ほんなもん、全然、珍しいことあらせん。
ナチス・ドイツと、社会主義ソ連だって、独ソ不可侵条約結んどるやんか。おんなじやて。
「新選組!」ちゅー番組のええとこは、坂本龍馬さんを、英雄視せんとこや。政治取り引きの、やらしー面を、上手いこと処理したじん、として描いたとこが、すごくええと、俺は思うわ。
ほんで、政治ビジネスに、わりと柔軟な西郷どんに比べたら、桂小五郎さんは、けっこう、正義感に富んどるじんとして描いたわけやな。
桂さんの「正義」とは、自分の故郷の仇が、「大義」を持ち出して、味方になったると言う。そのやらしー態度を指して、
「なんちゅーひっきょくさいじんじゃ!」
と、言ってのけるところや。
桂さんにとって、尊王は「正義」であって、
「大義」と言われたら、ムカつくわけやね。
西郷どんは、何にも「正義」を求めてないから、
「大義」を口にするのも、容易いわけやね。
つまるところ、「正義(個人)」と「大義(おおやけ)」は、
相容れーへんもんや、とも言えるわけじゃ。
そんな自分の「正義」をやね、苦笑しつつ、こらえてしまえる桂さんは、政治をわかっとる「大人」なんだわ。ほいで、桂さんも、そんな大人の事情を飲んで、ほほずりして締結、になった。
こういう、やらしービジネスな薩長同盟を、描いたこの番組は好きやなぁ。坂本さんも西郷さんも桂さんも、そのへんにおる、典型的且つ古典的ジャパニーズビジネスマンとして描いとるで、ほんやで好き。この番組は。
ほんで。
俺が、大義っちゅー言葉が、嫌いなのは、「大義」は、実際の処、国家権力の利益のために、君主が使う、便利な言葉でしかないにも関わらず、たびたび、君主が、「大義」を「正義」と言い換えるからや。
大義(国のため=君主のため)を、個人の正義心に求めるからや。
これは、個人の人格、思想の自由への抑圧やでね。ましてや命の取り合いを国民に要求するとさいが、これ言うんやで、ほんやで、嫌い。くだらん戦争するたんびに、言うやんか。エライじんが。
「正義は我が国にあるんじゃ!」って。
それは、正義やない。あんたが言ってるのは大義の方やろ?って、いつも思う。現実世界で戦争があるたんび、又は、物語の中で、こういうこと言うじんがおると、思うわ。
正義と呼べるもんが、もしもこの世界にあるとしたら、それは、自分の精神に求めるものであって、よそさんから、ましてや、エライじんから、徴兵する理由として言われたくはないんだわ。
ほんで、大義のために特攻しやーとか言われたら、イヤやでね。自分は、「自分の正義」のためにならば、特攻出来るけど、自分の大事なひとに向かって、エライじんが、
「大義のために死にゃー」
って言ったら、俺は許さへんでね。
…きょう、俺は、語気が、いつにも増して荒いかもしれーへん。
個人的なことを話すとやね、今日、友人の出産祝いに行ったんや。生まれたばっかしの、小さな赤ちゃんを見て、命より大事なものはないと、強く思ったんや。どの人間も、お母さんが、幸せに、元気に育ってほしいって、願って、お腹を痛めて産むんや。どの人間もやに。
敵に向かって、我が国には「大義」があるから、ほんやでおまえら殺すんやと、ほんやでおまえら敵機に特攻しろと言う、君主には、心底、同感出来ないと思ったんや。
我が子を守るためにならば、母は命を捨てて守る。これは、個人の「正義」であって、エライじんの言う「大義」と混同されたら迷惑なんじゃ。
ほいで、感動したんや。桂さんが、大義をクチにするじんを、
「ふん、姑息だな!」
と吐き捨ててくれて、溜飲が下がったんだわ。
姑息なのをわかっとって、自嘲しながら首をタテにふる、ビジネスライクな桂小五郎さん、実にナイスじゃ。是非、その嘲笑を、どっかのエライじんにも、やったってちょ。
「うちんたーには、命賭けてまってもえー大義があるんや」
とかなんとか、利口ぶって、マジでほざくじんは、だから、好かんのやて…俺は…そんなん、嘲笑に値するんやで?現実の大人の社会では。