新書・ノンフィクションフェア開催!『凶悪』『読書力』『愛着障害』など10月に読んだ本は22冊
今年の秋は、読書の秋にすることに決めた。特に10月は、新書や、ノンフィクションばかりを購入して、たくさん読もうと決めたのだ。
屈折愛 あなたの隣のストーカー 春日武彦(文春文庫)
いきなり、重苦しいテーマの本から、入りまぁーす。んで、こんな物騒なタイトルからは、想像もできなかった、軽妙な語り口。文体の、あまりの陽気さに、呆気にとられること、しばし。春日武彦先生の芸風は、こりゃいったいなんだ?ストーカーという暗いテーマに、臆病な読者をいざなうためなのか、それとも、書いてる本人が楽しければイイというスタンスなのか?とにかく、明るい。その明るさに戸惑い、そして魅了される俺。
不幸になりたがる人たち 自虐指向と破滅願望 春日武彦(文春新書)
またあ。春日先生ったらあ。こんな地獄の底みたいに、暗い暗いテーマなのに、文章が、明るいんだからあー。モウ。あっきれっちゃうっ。
わたしの書き綴った内容が上手く読者諸氏へ伝わるなら、おそらく本書はきわめて後味の悪い読後感をもたらすだろう。決して爽快な気分にはなるまい。
ううん、そんなこと、ない、ない。すっごく、おもしろい。人様が、熊に食われておっちんどるっちゅーのに、不謹慎なんだけど、春日先生の本は、読後感、爽快そのものでやんすよ。
あなたの中の異常心理 岡田尊司(幻冬舎新書)
俺は心理学の本が好きで、ほいでもって、この著者が好きだ。おかだそんし、と、心の中で呼んでいる。心理学の入門書として、また、おかだそんしファンになるための入門書として、簡明な一編だ。
愛着障害〜子ども時代を引きずる人々〜 岡田尊司(光文社新書)
実にスバラシイ、おかだそんしによる、3つの類型。それは、愛着安定型、不安型、回避型。その解説文を読みながら、
「俺は、典型的な、回避型だろうな。」
と思っていた。巻末にある、心理テストの結果は、非常に偏った、回避型であった。やっぱしぃ?わかりるー?本書をお持ちのかたへ、また今後読まれるかたへ、俺ことガラマニの点数を公開します!
A 6点 B 11点 C 12点
回避型>不安型>>安定型
こんなにひどい回避型でも、明るく、楽しく、前向きに生きていける生きた証拠。それが俺さ!
脳に悪い7つの習慣 林成之(幻冬舎新書)
山岸凉子著『言霊』(講談社)の原案になった本で、水泳の北島康介選手のイメージトレーニングの先生としても、俺内でおなじみ。あと少しで終わると思った瞬間、脳は活動を停止してしまう。
脳神経がもつ本能は、たった3つです。「生きたい」「知りたい」「仲間になりたい」
♪しりたい〜(ウェット)いきたい〜(ウエヤー)早く 女神になーりたいー(オッケイ!)山本正之作曲、コロコロポロンの主題歌で歌えます。
人は見た目が9割 竹内一郎(新潮新書)
見た目。みため。
俺が、内勤だった頃。そんなことは、考えたこともなかった。俺、俺、ゆーとるけど俺は女性なので、それなりに、お化粧や身なりには、気をつけていた、つもりだった。過去形。
外回りの仕事になってから、見た目がいかに重要かを、思い知った。俺が見られる側であっても、俺が人様を見る時であっても、見た目で判断しているパーセンテージが、いかに大きいか。「足もとを見る」というが、本当だった。履き物を見ると、人柄や、生活態度や、ものの考え方が、如実に表れているのが、よくわかる。
この本でいう、見た目とは、言語情報以外の全てだ。容貌、服装だけではなく、仕草、姿勢、発声、そして、におい。著者は、劇作家なので、ものっそい説得力がある。モリエールの戯曲という言語情報があったとして、その演劇を作ろうとしたなら。まず配役を決めて、役作りをして、台本に書かれていない演技の稽古をつけて、メイクをして…ねっ。見た目が9割になるはずじゃんって。
そして竹内文書は、随所に皮肉が効いている。ニヤリ。
こころに効く「断捨離」 やましたひでこ(角川SSC新書)
断捨離本家の本を読むのは、これで2冊目だ。こころに効いたのか?読みながら、またもや、押し入れの大掃除を始めた俺。10月末までに、ビデオテープ約100本の処分という大仕事を、すっかり片付けることができた。
「自分が」「今」「どうしたいか」で、何事も考えると、スッキリする。
ただ、この本を読んでからというもの、俺は、自分が文章を書くさい、「〜ですよね。」という表現は、避けるようになった。連発されると、実に、うざい。
テレビは見てはいけない 脱・奴隷の生き方 苫米地英人(PHP新書)
俺はさいきん、コマーシャルの入る民放テレビを見るのが、苦痛で仕方がない。業務上やむをえない場合以外、見ない。うるさい。コマーシャルもうるさいが、バラエティ番組の過剰な効果音が、うるさい。テレビは、NHK大河ドラマを、家人とともに食卓で見るぐらいだ。ニュースも、テレビでは、見なくなった。知りたくもない情報を、一方的に流されて、それを受け止める義務は、俺にはない。NHKでさえ、番組と番組の間に入る番宣が、うるさくて、消す。
著者は、自身がテレビ業界に深くかかわっていることと、海外で事業を展開している経験から、テレビによって洗脳される生活は、やめましょうと提唱している。
この世に、読まなければならない「空気」など本来ありません。
けだし、名言だと思う。日米間の、ものの考え方のちがいなど、示唆に富む本。
テレビの大罪 和田秀樹(新潮新書)
大罪ときた。ものすごく、怒っている。俺は、なにかに対して、怒っているひとの文を、読むのが好きだ。テレビがいう、美人アイドルのウエスト58センチは、確かに大嘘のコンコンチキだ。そんな偽装した数字を真に受けて、女の子が、過度のダイエットをしたりしては、いけない。まったく同感だ。勤務先で、20代前半の男性が、やはりこのウエスト58センチを真に受けており、では、俺のウエストは何センチだと思うかと、尋ねた。彼は考えこんで、こう答えた。
馬「ごじゅう…55センチぐらいっすか。」
俺「これが63センチなの。このズボンはMサイズ。」
鹿「まじっすか!」
確かに、和田先生、こんな馬鹿がおりやす。確かに、テレビの大罪でやんす。
なぜ宇宙人は地球に来ない?笑う超常現象入門 松尾貴史(PHP新書)
キッチュ、文章、うまい。おもしろいのはわかってたけど、まじで文章がうまい。
この読書感想記事は、ジャンル順に並べてあり、10月に読んだ順ではない。キッチュの本を読んだのは、某「〜ですよね。」を読んだその次だったので、なおさら、文章力の圧倒的なことに、感動した。
給料が減っても貯蓄が増える!40の節約術 節約術研究会
この本を買わないで、その分、節約した方がよかった。毎月の給与から、天引きして先に貯金に回し、残りでその月のやりくりをするなど、俺にとっては当たり前にできていることが、前半で書かれている。不要だ。そして、後半の大部分を費やして説明している、株。俺はどんなに窮しても、主義として、株はやらない。唯一、ためになったのは、「買わなくていいものは、買わないこと」という一文だけだ。肝に銘じて、次の本を買うことにする。
みっともないお金の使い方 川北義則(PHP新書)
みっともないお金の使い方を、俺はしてしまったのかもしれない。この本を買ったことだ。著者いわく、お墓の作り方は、伝統にそむいて、安く上げてもいいと思う。だが、女性が、「男なみに働く」ことは、よした方がいいと思う。なにがオトコナミだ。俺の勤務先は、男女で賃金格差も昇進格差もない。既婚男女も、独身男女もみんな平等に、みんな必死だ。汗みどろになって、毎日、働いている。そうしなければ、生きていけない。この仕事のない時代に、あったとしても年収が激減している時代に、「就業している=オトコナミ」だとかいう寝言をくちにする、著者のような御仁は、俺の周囲に、1人もいない。現状がまったく見えていない、バブル脳な著者は、さらにいう。女性が楽して生きる道は、公務員になるだけだと。楽だと?公務員女性への蔑視も、はなはだしい。言を尽くして批判する価値もない。
読書力 斎藤孝(岩波新書)
とにかく、ものすごく怒っている。…斎藤先生?明治大学の、斎藤孝先生ですよね?あの、『声に出して読みたい日本語』の。…キャラ、変わりすぎです!怒りのあまり、ときどき脱線して、わけのわからないことを言い出す斎藤先生が見もの。書棚の夏目漱石全集やシェイクスピア全集が、みんなして僕を責めるとか。本を枕にするのはやってみたが、踏み絵にするのは無理だったとか。あの?なにを言い出すんですか、斎藤先生?なにかいやなことでも、あったんですかー斎藤先生ぇー?
まあ、わかるけど。最近の大学生が、どんどん、どんどん、本を読まなくなってきてるってことは、あらゆる大学の先生が、同じように嘆いておられます。大学生のくせに、そんなことも知らんのかと、2度見してしまう。うんうん、わかる、わかるよ。かくいう俺だって、学生時代には、大学の先生方に、もっと本を読め読め、言われ続けたもんです。そいで今、中年になって、人生の残り時間をカウントするようになって、あわてて古今東西の名作を読みあさっているところですよ。
イヤでも読書がしたくなること、うけあい。『ジャン・クリストフ』や『カラマーゾフの兄弟』を読まないなら、もう人類やめてしまえ。そんな勢いで、怒りたける著者が、なによりおもしろい傑作。
本の読み方 スロー・リーディングの実践 平野啓一郎(PHP新書)
芥川賞作家、平野啓一郎先生まで、怒ってる。この本も、著者がものっすごい勢いで、怒っているのが、ものっすごく、おもしろい。いわく、アンチ速読!!いよっ、待ってました!それ、言ってほしかった、誰かに!
モンテスキューが20年かけて書いた大著を、速読派みたいな山師が、短時間で読破しました、だなんて、言語道断、コンゴ横断であると断罪!アホが書いたアホみたいな本を、たくさん買いこんで読んで、みっともないお金の使い方をしてるくせに、アテクシは読書家ですのよオホホと言ってんじゃねーよ馬鹿と啖呵をきる!いやー、胸がすく。俺が、できないから大嫌いな速読術を、一刀両断にしてくれて、うれしいや。ありがとう御座います、快刀乱麻の平野啓一郎先生。
辞書を編む 飯間浩明(光文社新書)
思い起こせば、あれは、中学1年生の時です。中学校の先生が、本屋さんで、国語辞典と漢和辞典を、買ってきなさいとおっしゃいました。お店に行くと、黒い表紙、赤い表紙、そして、オレンジ色の表紙の、国語辞典が、平積みにされて、並んでいました。俺は、表紙の色が気に入って、オレンジ色の国語辞典を、買いました。
それが、現在まで、手元に置いて愛用している国語辞典です。その名は、さんこく。三省堂国語辞典、第三版です。
あの時、黒い角川や、赤い講談社を選ばずに、さんこくを選んだ。その後、高校生になり、同じ出版社の国語辞典で大人向けの(←?)、新明解国語辞典も愛用するようになり、その異常性に気がつき、キャッキャウフフ笑いながら、新明解さんと遊び続けてきました。
さんこくは手頃なので、大人になってから、第五版も買いました。
前置きが長くなりましたが、この本は、そんな「さんこく」を編纂している、飯間先生による、ナイスなエッセイです。著者は、俺が買った第五版のつぎ、第六版から、さんこくの編纂に加わるようになり、2013年度に出版予定の、第七版を編纂する行程を、この本に書きました。新規採用語句、「カピバラ」「スイスロール」「キャバクラ」の語釈に大苦労。
正直なところ…「スイスロール」は…いらんと思うなあ…。でも、そんなところが、さんこくらしいのでしょう。ビバさんこく!
日本語練習帳 大野晋(岩波新書)
前述の『読書力』で斎藤孝センセが、ある程度、緊張感をともなう本を読むべしと、くりかえし書いておられた。例えばそれが、この本だろう。緊張感?ああ、ともなう、ともなう。もうビクビクしっぱなし。俺が書いてきた幾多の文章どもを、総点検しなくちゃなんねえ。
もっと若い頃に、そう、学生時代に、この本を読むべきだったと悔やんだが、1999年の発行とは、存外に新しい。そいでも、俺が読んだのは今年の今月。今からでも、もちろん、遅いことなどない。読みやすい、語彙の豊富な、よい文章を書くよう、こころがけよう。
黒のトリビア 新潮社事件取材班(新潮社)
ここから本気だす。なにが?俺が本来、好きな読書ジャンルだという意味です。ノンフィクション、それも、殺人事件など、血なまぐさい事件の実録本が、俺は好きなのだ。
本書は、「日本には 十六年間で二百人以上、殺した女がいる」とか、「警視庁には、馬がいる」などという、簡潔な小見出しを、一ページの中央に印字し、次のページ、たった一ページで解説文を終わらせるという、たいへん読みやすいスタイルだ。さすがノンフィクションの帝王、新潮社。警視庁には、馬が十六頭いるのに対して、犬が三十三匹という数字には、若干、おでれえた。犬が、もっと多いと思ってたからさ…。
夫が実の娘にしたこと[女子中学生手錠放置殺人事件]被害者母親の告白 中尾幸司(新潮社)
文章量は、雑誌の一記事分のボリュームである。事件の概要が、簡潔にまとめられている。記事の末尾には、問題意識が提起されている。この事件は知っていたが、被害者の「多さ」は知らなかった。悲惨な死に方をした被害者は、中学生の少女だけではないのだ。そして、事件時に死亡はしていないが、事件の被害者は、今後も悲惨な境遇を生きていくのだ。
精神障害者に無辜の一人息子を殺された父母の叫び 新井省吾(新潮社)
この殺人事件は、知らなかった。ひどい事件である。2005年12月6日、香川県高松市で、前途有望な会社員青年が、買い物途中の駐車場で、刺殺された。犯人は、精神障害者で、事件のあった日は、出入り自由な開放病棟に入院していた。そして、誰でもいいから刺し殺してやろうと思った。包丁を買って、その店の駐車場で出会った青年を、刺した。青年は死んだ。犯人の目的は達せられた。
犯人は精神鑑定にかけられた。
本には、裁判がその後どうなったかまでは書いていない。まだ公判中であったからだろう。
凶悪―ある死刑囚の告発― 「新潮45」編集部(新潮社)
映画化原作ということで、興味を持って読んだ。殺人犯として拘留されている男から、告発が、記者のもとへ届く。本当に凶悪な殺人者が、娑婆にいるのだと。この事件そのものを知らなかったので、先がどうなるか、まったくわからない状態で読み進めた。読みながら時々、恐ろしくなって、読み進めることができなくなった。恐怖におののき、色々なことを考えて、また本を手にとって、読んだ。
ノンフィクション書籍として、たいへん優れた本である。本の後半に至るまで、登場人物の氏名は、仮名で書かれている。事件の真相がつかめず、本当にその人が事件当事者なのか、物証がえられない段階だからだ。そして本の後半、クライマックスで、本名を出し、本人の写真が登場する。そして実名での、裁判記録にと、入ってゆく。この全体の構成が、たいへん見事だ。
書籍として優れていることのみならず、新潮の記者が、この事件を発掘し、記事にして、警察に訴えた。だから事件化した。だから逮捕された。記者が、勇気と実行力をもって、仕事をしていなかったら、凶悪な犯人は、野放しになっていた。
事件について、俺なりに考えたこと。「先生」の家族は、共犯ではないか?酒を飲まされて殺された人がいる。その現場は、「先生」の自宅1階。その時、「先生」の妻や娘は、同じ家屋の2階にいたのだ。豪邸とはいえ、1階で、ヤクザな子分複数名と、「先生」とが、被害者をよってたかって殺せ殺せと、大騒ぎをしている事実を、2階にいた妻子が、知らなかったわけがないだろう。娘といったって、子供じゃない。長女は成人、次女は大学生なのだ。著者は、「先生の奥さんは、旦那がどんな仕事をしているかも知らないのだろう」と書いていたが、それならば、なぜ、記者が「先生」の家を訪問した時、「先生」の居留守の手伝いをしたのだ、奥さんは。旦那の命令に服従していたからではない。そのかたくなな態度は、妻子も共犯だからだ。
一読者である俺が、事実無根な感想で、人様を断罪する気はないがあるが、「先生」の仕事が、あまりにも残忍であるゆえ、その家族が、知らぬ存ぜぬで通しているのならば、その態度は、あまりにも残忍だと思う。
消えた鼓動――心臓移植を追って 吉村昭(筑摩eブックス)
内容に触れる前に、まず、言いたい。以上の書籍を俺は、ソニーリーダーストアで、ダウンロード購入し、電子書籍で読んだのだが、電子化するさいに、活字に「欠損」した部分が出ることがある。書籍、出版社によって、「欠損」があったり、まったくなかったりするから、電子化するさいの校正などを、丁寧におこなっている会社と、そうでない会社とで、明暗がわかれるのだと思う。
その「欠損」が、あまりにもひどかったのが、この『消えた鼓動』だった。せっかく素晴らしい内容なのに、もったいない。金かえせ。「=料をあつめる」とか「=が見えない」とか「=重におこなう」とか。前後の文脈から類推し、「資料をあつめる」「姿が見えない」は、わかった。だが「慎重におこなう」なのか、「丁重におこなう」なのかは、わからない。ゆうにことかいて、著者吉村昭氏が、最も強調して書いた結論部分、「大切なことは=だ。」まるっきり、わからん。この脱字は、ひどすぎる。我慢の限界をこえている。吉村昭氏にたいしても、失礼だ。
そもそも、表紙の、「=摩eブックス」。オイ、自分とこの社名が、印字できてないじゃんよ!筑摩さん、エエ加減にしとけ。
立腹した俺は、今後、自分にとって大切になると考えられる本は、やっぱり紙媒体の本で購入しようと思った。
さて内容だが、心臓移植手術を追ったノンフィクションである。札幌医科大学で、日本初の心臓移植手術が行われた。それより以前から、吉村昭氏は、海外に取材に出かけて、心臓移植手術について調査していたところであった。南アフリカやアメリカで取材していた同氏は、まさか自国で、札幌で、それが決行されるとは夢にも思わずにいた。
吉村昭氏の記述によるならば、「和田心臓移植事件」は、人体実験であり、ほぼ殺人事件である。まず心臓提供者である、海で溺れた大学生には、息があり、脳波もあった。彼を病院に運んだ救急車チームは、「助かってよかった」と思った。さらに、心臓移植手術をうけた患者少年は、心臓病であるが、彼を内科で診察した先生は、心臓の弁をひとつ移植すれば、よくなると診断していた。
で、2人とも死んだのだ。
詳細は、ぜひ、この本を読んで、確かめてほしい。ただし、電子書籍版は、虫が食ったみたいに「大切なことは=だ。」状態なので、気をつけて。つーか筑摩さん、電子化するなら、売るなら、頼むから校正してくれ。ボランティアの青空文庫には、こんな欠損はないぞ。
日本の殺人 河合幹雄(ちくま新書)
と、いうわけで、読むのを楽しみにしていたこの本は、電子書籍ではなく、ちゃんと紙媒体で買った。
猟奇殺人事件を、そら恐いぞ恐いぞと、あおる本も読んできたが、この本はそうではない。おどろおどろしい殺人事件の本が、大好きな俺にたいして、この本は、「なぜチミは、そんなに人殺しが好きなのかね?」と問いかける。統計によれば、日本の殺人事件の約半数は、家族間で起きている。著者はいう。殺人とは、家族問題であると。人が人を殺す自由はあるのか?ある。合法の殺人がある。戦争と、死刑だ。
著者の文章表現には、相当な癖がある。文学畑の本に慣れきった俺は、法社会学者である著者の表現に、ときどき、ギョッとさせられた。
バラバラ殺人事件とは(中略)大騒ぎされることが多いが、加害者を調べてみれば、実はたいしたことがない事件も多い。(中略)「玉ノ井のバラバラ事件」は一九三二年に発生、例によって、首と胴体だけが発見されて、手足が見つからず、大きく報道されたが、逮捕してみれば、つまらない事情による殺人事件(家庭内の争いで有期刑)であった。
たいしたことがない、つまらないとは、何を指して言うのか。たぶん、数の上で、ありふれているという意味だと思うが、それにしても、違和感がある。その違和感を、徹頭徹尾、感じながら、読了した。そこが著者のねらい、主張だったのだと思う。殺人事件とは、センセーショナルな特例ばかり扱われがちだが、冷静に数字を追って見てみれば、そうではないことがわかるだろうと。殺人は、ふだんは身近なものではないが、いつかどこかで、身近に迫るものなのだろうと感じた。