新ガラマニ日誌

ガラリアさん好き好き病のサイトぬし、ガラマニです。

年賀状を書いてます

ガラマニの年賀状は、宛名のみ手書き仕様です。書いていると、自分の悪筆さかげんがイヤになります。

「○丁目○番地○の○」、略して「○-○-○-○」と、数字が連続している部分を、縦書きしていると、ア゛ァーッ!となります。漢数字で統一すべきか、アラビア数字がいいか。数字と数字をつなぐ「-」は、「の」か「ノ」か「―」か。漢数字の「一」と「ノ」が続いたり、アラビア数字の「1」と「-」が続いたりすると、見分けがつきません。考えた結果、縦書きにおいては、アラビア数字+「の」なら、たいがい大丈夫。

宛名書きが終わり、ひとことメッセージを書いていて、また、自分の悪筆に呆然としました…。orz

きれいに書こうと、りきむほどに、緊張で、線が文字が、モロモロのヘロヘロに。ア゛ァーッ!でもいいんだ。そんな俺の気持ちを如実に記録するからこその手書きの良さよ!

以前、古文書を扱う仕事をしていたときのこと。和紙に、墨で書かれた文書の持つパワーを再認識しました。戦国時代の直筆が、しっかと残っているだけでもすごい。いまどきのメール文が、四百年後にこんなふうに残るか?残らない。送信したはじから削除したり、されたりですもんね。その点、紙ぃーに墨ぃーは、すごいものですよ。強い!すべての面おいて、圧倒的に、強い!

俺が手にとった、ガラマニ県に残る戦国時代の手紙は、とある有力者から有力者に向けたもので、こう書いてありました。

「うちはこんどの合戦で、織田信長さんの味方につこうと思います。つきましては、ご馳走してほしいなって、思います。お返事待ってます♪」

「馳走」は暗に軍資金を意味してるんですねー。紙面にある「馳走」の文字の表情が、おびえながらも、笑っているように見えてナイスでした。

他には、こんなのもありました。豪農のお祝い事の記録で、巻紙に「ご祝儀リスト」がたくさん書いてあるのですが、書いてる人の性格、ご機嫌、おなかのすき具合まで、文字から読み取れるんです。

墨がどんどん薄くなるのを見て俺は、「あの。そろそろ、すずりに筆チョンチョンしたら?」と思うのだけど、カスカスのままが続くんです。明らかに、「あ〜やだ。あ〜、もういやんなってきた。あ〜、おなかすいた。こんなん、もう書きたくないやい。」と思ってる。それが、次の行から、筆跡は同じで、急に墨は黒々、文字は元気いっぱいになってて。「あんた、この行とこの行の間で、お昼ご飯食べたね!」と分かるんです。ことほど左様に、手書きは強い。メール文が表現出来るものとは、比較するのもバカバカしいほど、オーラちからが違うんだわ。

なーんてことを、へさべさに手書きの郵便物書いてて思いました。