新ガラマニ日誌

ガラリアさん好き好き病のサイトぬし、ガラマニです。

ガラマニ日誌【31】05/4/26(火)サイト開設2周年記念日

記念すべき今日。なにか企画をやりたいと勘考した。

トップページに、記念イラストを、どーんと載せようかと思ったが、
賃労働による腱鞘炎と、毎夜、9時頃には早や、
眠くなるほろの(ロレツも回っていない)疲労で、
絵ぇー描くのは、断念。

気がつけば、半年以上も更新していない、メインコンテンツ「月下の花」の続きを、
今日に合わせて載せようかとも、思ったが、
間に合わなかったので、断念。(でもたぶん、近日中に、次章は出来ますよ~)

4/23に更新した、黒い三騎士の「三騎士誕生秘話・2」をやろうかとも、
思ったが、記念企画として、続き物の「次」というのは、
インパク値に欠けると考え、やめ。

それで、自分にとって「サイト開設日」の、
最も記念的なものとは、なんだろうか?と考えたとき。

2年前の今日、一番最初の「コンテンツ」として出来上がった、
このガラマニ日誌こそ、記念企画に、ふさわしいと、結論するに至った。

ガラマニ日誌〔1〕

この、短い文面を読み返すと、
あの日、必死こいて、トップページを作ったことを、しみじみと思い出す。
ホームページビルダーで、自サイト内リンクをする方法が、教科書見ても、わからなくて。
半日ウンウンうなりながら、ようやく、出来るようになって。
次に、FTP転送の設定が、わからなくて、ウンウンうなって…
こんな、超・初歩的なところから初めて、今日でまる2年間なのかぁ。

そして、2項に渡る、日誌の目次ページを眺めやると、

「けっこう、たくさん書いてきたなあ。
このテーマの時は、掲示板の反響が大きくて、嬉しかったよなあ。」

我がサイトの歴史、紆余曲折の日々を、
自戒と反省と…そして、達成感と、大いなる歓喜を持って、思い出す。


さて、本日の、記念日誌のテーマは、2年間の、サイトの歴史を振り返る、のではない。


2年前、初めて、自分のサイトを開設したよりも以前の、
インターネット生活について、語ろうと思うのだ。
これについて、ガラマニ(名義)が書くのは、初めてである。

同様のテーマで書いた項は、ここにもあるが、
これは、ダンバインファンサイト系列に限った話題。
今日、ここに書くのは、

ダンバインのダの字もない、

朝日はサンライズでもなんでもない、

別ジャンルでの、俺についてなのである!
どうだ、いかにも記念的ではないかッ(そうか?)

ガラマニが、ぱそこんといふものを購入したのは、1999年の夏であった。
街の電気屋さんで、一式買って、
セットアップもぜんぶ、電気屋さんの、おにーさんにやってもらった。

おにーさんが帰り、自室で1人になると、俺は早速、
いんたーねっと=ヤフーという、今にして思えばホニャララな発想で、
ヤフージャパンを開き、ニュースとか、星座占いとかを見て、

「たいして、面白くないな」

と思った。なんか、もっとないのか…おや、「検索」という空欄がある。
これにキーワードを入れて、ポチッとな、すれば、なんか出るらしい。

俺が…いや、わたしが…その時、初めて「検索」キーワードに入れたのは、

実を言うと…

ダンバインのダの字でもなく、

ガラリアさんのガの字でもなく、

朝日はサンライズでもなんでもなかったのだ。

1999年の、わたしが、ヤフーの検索窓に、初入力した言葉とは、いったい?!

それは…!


すみません、やっぱ、ここには書けないです。

ヤバすぎるので。自分にとって。


なので、仮に、そのジャンルを
<ペディグリーチャムにおけるトップブリーダー資格について>と、しておく。
あくまで仮称であり、当時のわたしが、ドッグフードに、ものっそい興味があったわけでも、
関係業界にいたわけでもないので、読者各位にあられましては、
「なんだろうか?」と勝手に煩悶して下さるよう、お願い致します。

さて、ヤフー検索で、ペディグリーチャムなサイトに辿り着いたわたし、
(セットアップを全て電気屋さんにやってもらった)わたしは、その晩には、既に、
トップブリーダーについて熱く語る掲示板を見つけてすぐ、熱い書き込みをしていた。
…串も通さずに…

その掲示板が、そのジャンルでは、
当時のネット界で、最も有名な所であった…とは、ずっと後に知った事である。

掲示板って、自宅にいるわたしが、すぐ書いて、すぐ載って、
そんで、すぐ返事が帰って来る…!すごい、面白い!」

たちまちわたしは、その某有名ペディグリー掲示板の常連となった。

その掲示板は、トップブリーダーには、資格などいらない派と、
いや、トップブリーダーは、資格所得者が行うべきである派とが、激しく対立している、議論板であった。
元来、議論が大好きなわたしが、最も好む系の板であり、わたしは後者の派閥に属した。
しかも、そこの管理人さんは、意図的な放置主義で、
わたしを含む、自称・常連たちが、好き勝手に、書き込みし放題。
テーマがテーマなだけに、口汚い荒らしも、おおぜいやって来て、
それに対抗して、自称・常連が、激論を展開するという、
そのジャンルでは、超ぉ~伝説的な掲示板なのであった…

…って、書けば書くほど、ヤバい。俺の、その板でのハンドルが、
今にもバレそうなぐらいに、ヤバい、有名さなのである…

常連となったわたしは、その板で、同派閥の方々と、メールを交換するようになり、
オフ会も開催されて、たくさんの友人と出会えた。
激しく議論した同士は、雄弁の同志となるとは、あの掲示板が教えてくれた真実である。

当時、そのペディグリー掲示板で知り合った人の中には、
この「ガラリアさん好き好き病」を、読んで下さっている人もいるし、
今もずっと、メールや電話で、旧交を温めている。

わたしが、ぱそこんというもの、いんたーねっとというものを、手にして、
最も有意義だと感じているのは、これら、人との出会いである。

その板で、長く常連をやっていて、これを一番強く思った。
機械を通そうが通すまいが、そこにいるのは、「人」なんである。

わたしは、ネットを通して出会った人とは、誰であれ、
ペディグリー掲示板で敵陣営だった人であれ、リアルで会ってみたいと思った。
直に会って話したい、と、ペディグリー掲示板に書きながら、いつも強く思った。
そして、リアルで言えないことは、ウェブでも言わないという信念が、
あの、激しい議論板・ペディグリー掲示板で培われたと思う。

何度、あの板で、荒らしに、「死ね」「殺す」「人間のクズ」と言われたことだろう。
それに、理論武装して挑んだ日々。まだテレホーダイだった時代なので、
闘いはいつも、夜11時開始だ。時として、わたしは、同派閥の友に、

「○○さん、今、あそこに、また荒らしが来てるんだ!
○ちゃん○るから流れ込んでるらしい。頼む、早く来てくれ!」

とメールをもらい、「おうさ!いざ、鎌倉ぁああ」と駆けつけたものだ…

…ああ、ヤバい!書けば書くほど、ヤバい。俺の、当時の別名を知ってる人よ、
どうか、絶対、ガラマニ=○○だとは、バラさないでくれ、頼む…

ま、とにかく、わたしは、初めてネットに繋いだその日に、
初めて書き込んだ、このペディグリー掲示板によって、
文章によるコミュニケーションの、難しさと、楽しさを、
板の激しさから、より明晰判明に、理解出来たと自負する。
これは、すごく幸運だったと思う。

そして、なによりも、多くの、人との出会いこそが、何にも変えがたい幸福であると。

最後に、もう一つ、ポイントを挙げたい。
ウェブでの出会い、と言うと、世間的には「出会い系サイト」を連想するらしい。
また、ここを読んでいる、ダンバーな方々の中にも、色々な目的で、
「出会い系サイト」を物色している人も、いらっしゃるだろうと思うが、
そんなあなたに、俺…いや、わたしより、一言、ご助言申し上げたい。

凡そ「出会うこと」を目的として集った、
サイトや掲示板では、
良き「出会い」は、けして生まれない。

…これこそが、

わたしが、

あの、

<ペディグリーチャムにおけるトップブリーダー資格について>の
激しい議論板で、得た、真理なのである。

終わり。

【くれぐれも】
ペディグリー掲示板で出会った人で、ここも知ってる人!
頼む、ガラマニの別ハンドルとか、
ペディグリー掲示板のことは…バラさ…ないで…くれ…(倒