新ガラマニ日誌

ガラリアさん好き好き病のサイトぬし、ガラマニです。

「ガラリアさん好き好き病」サイトタイトル誕生秘話

ガラリアさん好き好き病

http://www11.ocn.ne.jp/~garamani/index.html

俺が、ぱそこんと、いんたーねっと、といふ、流行の機械を買ったのは、1999年だった。その後、自分の手で、初めて、ほーむぺーじといふものを作ったのが、忘れもしない、2003年4月26日だった。

よく、「半年ロムれ」、と言われる。1999年、インターネットの世界を初めて知った俺は、それから4年あまり、ロムってばかり、していた、わけでは、なかった。よそ様の掲示板への投稿は、1999年から、既にしていた。しまくっていた。

現在は閉鎖されてしまったが、「聖戦士ダンバイン」のキャラクターや、オーラ・バトラーを解説したファンサイトがあり、そこの掲示板に、初書き込みをしようとして、俺は、男のフリをして、掲示板アイコンは、バーン・バニングスをチョイスして、ハンドルネームは何にしようか、と、約一秒考え、

日本一のガラリア・マニア

略して 

ガラマニ

と、名乗った。その日が、「ガラマニさん」の誕生日となった。1999年の、何月何日だったのかは、アウトオブ記憶だが。

俺がその時、なぜ、男のフリをしたのかは、下記を参照されたし。
俺が俺という理由

それから4年経ち、俺は、ふとしたきっかけで、自分で、サイトを作る気になった。大好きなアニメ、「聖戦士ダンバイン」の、それも、ガラリア・ニャムヒーという、一登場人物の、専門ファンサイトを。
その動機は、

小説「月下の花」の徹底見直し進撃中です

に書いたとおり、ガラリアさんが主人公である俺の小説、「月下の花」 を、同好の士に、読んでほしかったからだ。

ガンダムの、富野由悠季監督作品である、アニメ「聖戦士ダンバイン」のファンサイトは、俺より先に、多くあり、特に、ダンバイン業界随一の人気キャラ、シーラ・ラパーナさんの専門ファンサイトは、複数あった。2003年当時、俺は、ダンバインファンサイト界において、新参者であると同時に、

ガラリア・ニャムヒーさんのファンサイトとは、俺こそが、

世界初

であったのだった。

今にして、正直に告白する。俺は、自分でウェブサイトを作るのも、初めてだったし、機械オンチだったし、何よりも、既にたくさんあった、先輩ダンバインファンサイトの作者様や、星の数よりちょっと多い、コアなダンバインファンの皆様に、はじめてのホームページビルダー状態で、自分の作品をお見せするには、俺には、

自信が、

ありすぎた。

ああ、ありあまるほど、自信があった。

俺は病気だったからだ。そう、

「ガラリアさん好き好き病」という病名の、重症患者だったのだ。今もそうだ。これからも、ずっとそうだ。彼女に、初めて出会ったあの日、「聖戦士ダンバイン」の本放送、第1話を見た、1983年2月5日に罹患し、もう治らない、運命にあったのだ。完治しないのだ、この病気は。

ガラマニ、というハンドルネームを考え出した際、要した時間は、約一秒だったが、初めての自分のウェブサイト、それも、世界初の、ガラリアさん専門ファンサイトの、サイトタイトルを、考え出すのには、約0.5秒も、かからなかった。

サイトの、トップインデックス。この大事な、目次ページのデザインは、俺が好きだった、やはり現在は閉鎖された、「ネカマ裁判」というサイトの、トップインデックスのデザインに、影響を受けた。中央、タテに、標題を並べるだけ。標題をクリックすると、各テーマの、さらなる目次が出てくる。クリックすると、記事が出てくる。という、サイト構成も、「ネカマ裁判」さんの影響が、大きい。

と、いうわけで、ガラマニの、ガラマニによる、ガラマニのためのほーむぺーじ、

(ここでいう、「ガラマニ」とは、俺と同じ、ガラリア・マニアである皆様、「ガラリアさん好き好き病」に罹患した、世にも幸なる皆様と、俺とを、指します。)

「ガラリアさん好き好き病」という、サイトタイトルは、タイトルコールする前からもう、決まっていたのだ。