ガラマニ日誌〔12〕04/1/11(日)「ガラマニと家事」
俺は、お料理をスルのが、あまり好きではない。嫌いではないが、好きではない。
休日に、ケーキを焼いたり、しない。
きょうは、日曜日なの、うふー、エピロンつけて、さあ、すてきなおケーキ焼きましょう、ケーキが焼けたら、お紅茶入れてうふー、なんて、これっぽっちも思わない。
そもそも、自家製ケーキを焼いた経験が、これまでの長き人生において、1回しか、ない。インスタントの、粉こねて焼くだけ系のなら、何回か、あるが、根底から自家製のケーキ、手作りお菓子を作ったのは、たぶん1回だけだ。
俺が「今年のバンアレン帯は、チョコレートケーキ作る」と、
長年の親友、名神 高速子さん(仮名)に、電話で喋ったところ、高速子さんは、電話口で、恐れおののき、
「や、やめてよー!天変地異が起こったらどうすんねん」と言われたのだが、
翌年のバンアレン帯を待たず、高速子さんが住む地域で、ホントに(以下自主規制
あの時、気がふれて買った、ケーキの金型は、今、台所の奥深く、どこかに、眠っている。
今晩のおかずに、凝ってみようと思い、スーパーでウキウキ、買い物したり、しない。
スーパーには行くが、食材コーナーは、さしてウキウキしない。
野菜は、必要な栄養を選び、鮮度と値段(旬)を見るだけ。肉も同上。魚は、サワラの顔を見て、
「人間の おのこ だったら、結構タイプかも」とかなんとか、思ったりなんかする。
金目鯛は、ギョロ目すぎて、高嶋兄みたいで、いまいち。
秋刀魚は、サワラ系なので、まぁまぁタイプ。サワラって、ショット・ウェポンに似てるよな。
では、ガラマニは、料理オンチで、作るのが、ど下手くそなのかというと、そうではないと思われる。上手ではないが、食うとうまい、美味しいと思う。
<ガラマニ・クッキング・ターイム>
材料:冷蔵庫(中身つき)と台所(装備つき)
作り方:冷蔵庫の中身を、幾つか取り出し、切って煮る。ハイできあがり。
うまい。なぜだ、なぜこんなに美味いのだ。
完熟トマト(腐りかけとも言う)と、脂身が固まったヤキブタと、冷凍ご飯だけで、なぜこのように、美味いものが、できてしまうのだッ
よく、女性に対して、
「貴女は、彼氏やダンナさんに、尽すタイプですかぁ~?」と問う。
俺は即答する。「尽しません」
質問者「ええ?じゃあ、家事は、しないのですかぁ~?」
俺「します」
質問者「得意では、ないって意味ですかぁ~?」
俺「得手・不得手と、尽すこととは、別です」
質問者「尽さないのですかぁ~?」
俺「家事は、必要だからするのです」
この質問には、前提として<家事=良人に尽す行為=女の喜び>と規定されている。
俺の思考では<家事=全てしないと生活が成り立たない=生活者の責務である>なので、質問の前提からして、それは尽す・尽さないの問題ではないので、この問いには「尽しません」と答えるのである。
さて、本日のポイント。過去日誌でも、ちらりと、このテーマにふれたが、
得意=好き ではないし、逆もそうである。
家事とは、家という建物に、人間が住むために、必要だからスルことであり、愛情表現でそれをスル(=尽す)と言うのなら、家事を好きなのではなく、
それは彼を好きなのである。
じゃによって、<尽すタイプですか>という質問は、俺には通じない。わかったかボケカス。
以前、気がふれて、チョコレートケーキを作った時、
俺は、ケーキ作りという行為を欲したのではなく、彼の喜ぶ顔を、欲した。
俺が愛したのは彼であって、ケーキではない。辛党だしな。
彼が俺の寵愛を失えば、ケーキもシチューも食せぬのだ。わかったかボケカス。
さて、そんな愛敬のひとつもない俺にも、好きな家事がある。
<家事と呼ばれる分野>
・炊事(含む 洗いもの等)
・洗濯(含む 干しもの、アイロン等)
・掃除(含む インテリア、エクステリア配置等)
・育児(含む ダンナ調教等)
・縫い物
・買い物
・ゴミ分別
(近年、これが難しすぎる。なんか1年中「明日はなにゴミ、来週はビン・缶の日がある」と考えているような気がする。プラゴミと紙ゴミ、リサイクルか否か、アルミ缶かスチール缶か、マニキュアの空き瓶は、こんなにちっちゃいのに、俺の地域では、カテゴライズが 粗大ゴミだが、日本語間違ってんじゃないのか)
炊事は、あまり好きではない。
お料理はするが、試食者にも好評を得るのだが、作っている工程自体を、楽しいとは思わない。楽しくはないのだが、「おいしかったね」という感動を求め、彩り豊かな食卓を美しいと思うから、おいしい食事がしたいから、作るのだ。料理するという行為は、旬の食材を美味しく仕上げる、日々に在る幸福を作る行為と思う。
ただ、その作業自体は、あんま~~~り、好きではないのだ。
お料理の味、作る技術、即ち料理文化に対しては、愛しているし、尊ぶべきものと思う。だが、食材を包丁で切ったり、焼いたり煮たり、味付けしたりする、その行為そのものは、俺にとっては、あまり、喜びではない。
※お料理スル「目的」は、好きだが、スル「行為」は、好きではない
「食う方専門ですかぁ~?」というような、バカな質問は2度とせぬように。わかったかボケカス。
洗濯も、あまり好きではない。
電気屋さんで、洗濯機コーナーを物色するのは、大好きだが。
電気屋さんに行くと、買う予定もないのに、必ず洗濯機コーナーに行き、フタをなでたり、フタを開け閉めしたり、フタを開けて中に首突っ込んだりする。最近の洗濯機のフタって、青緑色で透明なのや、横向きなのや、色々あって楽しい。
育児は、したことない。精神年齢が幼児の成人の躾ならしたことある。無理だ。無駄だ。
縫い物は、必要最低限しか、しない。
この分野には、ミシン操作と手芸も含まれるだろう。
はるか昔、コンピューターミシンがウチに来た時、ペンギンさんの刺繍が、全自動で、できてしまったのを見て、ビックリしたものだ。
刺繍はひと縫いひと縫い、手縫いする方が、ずっと好きだった(過去形)。これは、幼稚園時代に、はまった。「フランダースの犬」のアロアの影響である。
高校時代、『基本の編物』という書籍を買い求め、カギ針編みの基本を、一通りマスターし、「よし、わかった。俺の編物人生は終った」であった。
できることと、好むこととの、違いである。今編めと言われても、ソラでは、できぬ。
買い物は、後述する分野のものは、大好き。
ゴミ分別は、これは行政レベルの問題であるな。
そう、俺が、最も好きな家事。大好きな家事。
掃除ダ!
あぁ、掃除。お掃除。沖田総司。掃除にも、各種分野があり、掃除する個所やアイテムによって、好き嫌いが、読者の皆様にも、あるだろう。
俺が、特に!大好き、たまんなく好き、
これは、上述の<家事=責務>を越える、俺の趣味!と呼んで差し支えない、
掃除したくてしたくて、たまらん個所がある。それは、
<注:これ以下は、お食事中の方は、お読みにならないで下さい>
トイレ掃除!
あぁ、トイレ掃除。なんと楽しい行為であろう。世の中で、凡そ掃除と呼ばれる中で、トイレ掃除ほど、魅惑的なものは、ない。
そもそも、おうちの中で、ふとんの次に好きな場所が、トイレだ。
俺んちのトイレの、なんと居心地よきことよ。
あぁ、便座。洋式便座。TOTOの、ウォシュレットつき。
冬はあったかい、カバーなしの、むきだしのプラスチックの、象牙色の、かがやき。
まあるい、まあるい、まんまるい、座る便座。
象牙色の、フタをくいっと開けると、その丸い座るものが。
あぁ!!我がいとしの、便座。TOTOとは、東陶機器株式会社の略なのだ。
東陶とは、東洋陶器の略だったと思う。たぶん。
(これの裏付け調査のために時間を食い、この日誌のうぷが遅れていたので、たぶんで済ます。以上。)
とうようとうき→とうとう→TOTO とは、
なんて、ナイスなネーミングなのだ。あぁ世界に冠たるTOTO。それはさておき。
話しを、好きな家事、に戻そう。
トイレ掃除とは、どれぐらいの頻度で、スルのがよいか。1週間に1回?3日に1回?毎日?
いいや。いいや。トイレ掃除は、「入る度に」スルのが、理想だ。
したいけど、諸種の事情が許さぬ故、頻繁にできないのが、残念だ。
◆すてきな個室、トイレットルームに入り、便座に座る。
シャーとしながら、足元の床や、トイレットペーパーのくるくるを、見る。
シャー最中に、それらをなでまわす。床にほこりがあれば、シャーしながら、
トイレットペーパーをとり、かがんで拭き取る。
シャー後、シャーが出た部分を拭いたら、紙を、水中に捨て、立ち上がり、
タンクの方を向き、便座を上げてから、流す。
流す時、中を見る。この時、象牙色の内側に、ウンチョスのこびりがあれば、
タンク後方に置いてある、ウンチョス専用ブラッシを、さっと手に取り、
こする!ゴシゴシ、こする!ああ!楽しいぜ!◆
◆~◆ぐらいの掃除行為は、「入る度に」したいものである。
ミルマグの飲みすぎで、マンモスゲリピーだったりしたら、できないが。
さて、俺は、いとしのTOTOに、ウンチョスのこびりが、ついているなぞ、許せぬ、のではなく、こするのが、楽しいのである。ここが第2のポイントである。
※俺は、「きれい好き」なのではない。「トイレ掃除が!好き」なのである
<上記の、お料理の、※と、比較対照されたし>
純粋に、トイレを掃除する行為そのものが、大好きなのであって、清潔さを求めているのでもないし、きれい好きは美徳と思っているのでもない。
(例:トイレ掃除と対照的に、俺は洗車は好きではない。たまに、スタンドで済ませばよい。
車なんか、外を走り回る乗り物なのだから、雨雪にさらされて汚れているのが当たり前である。外壁もそうだし、車内も、はたらくじどうしゃ、働く人間の、乗り物なのだから、乗降は、機敏であるべきで、運転の安全確認が優先であるはずで、靴の泥みたいなもん、いちいち気にしているようでは、仕事なんかできるかいアホンダラ。
自家用車を、なでまわすように掃除している人の中の、
度 を 越 し た人種には、俺は、嫌悪感すら抱く。
車内土足禁止だとか、車内禁煙だとか、
「シートにコーヒーこぼすなよ、絶対だぞ」とか、
そういう寝言をぬかす おのこ に出会うと、ウスラキモ悪い。
忙しく働いている おのこ の車内が、うす汚れ、座席にも荷台にも、ゴミなのか装備品なのか、一見ではわからない物品が、ゴチャゴチャに散乱しており、助手席に、座ろうとする俺に、
「ああ!ごめん、今どけるねっ」と言いながら、
助手席に盛られている、ゴミとCDと百円ライターとヤンマガを、あわてて後部座席に放り投げるような おのこ の方が、ずっと好感が持てる…話題がズレてきたな。)
職場や、よその家で、俺は、トイレに入ると、ムズムズする。あぁ、掃除したいと。
そして、頼まれもしないのに、手にはブラッシ。
無い場合は、お尻用の紙をとり、それで、便器を、拭く。
ゴシゴシ、あぁ、もっと、もっと、こすりたい。もっとピカピカにしたい。
よそのトイレは、掃除道具の装備が、気にくわない事が多いが、それでも、俺は、しばら~く、トイレに入ったきり、出てこない。こすっているのだ。便器を。
便器は、洋式萌え~だ。和式は、内側の曲線が、縦長なので、ブラッシが、内角にあたるであろう。ガンガンと。あれよりも、洋式便座の、内部の丸さ。あれを、ぐるりんぐるりんと、こするのが好きだ。
頼まれもしないのに、トイレ掃除をする俺に、そのトイレの持ち主が、
「ああ、ガラマニさん、そんなことしなくていいよ」などと言おうものなら、
やかましい!俺の楽しみを、邪魔だてする気かぁっ、と思う。
「そんなこと」ってなんだ。この世で、トイレ掃除ほど、嬉しい行為はないというのに、人は、なぜ、排泄場所の掃除=「そんなこと」と言うのだろう。
俺の愛用ウンチョス・ブラッシは、柄が黒いろ。ハケ部分は、シマウマ。つまり白地に黒の、ストライプ。ハケは、丸く、四方八方に毛足が届くものが、ヨイ。このブラッシは、トイレ内の、標準装備である。
さて、本格的なトイレ掃除にかかるとしよう!ああ、楽しいぜ!
<用意するもの>
・ぼろきれ多数(綿100%、元・Tシャツでした素材がグー)
・ぞうきん(タオル地がグー)
・粉せっけん(しゃぼん玉せっけん株式会社の、洗濯用がグー)
・上記シマウマ・ブラッシ
・お風呂洗い用洗剤(ドラッグ・ストアで、98円くらいで売っている黄色いボトルのやつ。怪しげなメーカーでグー)
・流せるトイレお掃除シート(これも、怪しげなメーカーでグー)
*まず忘れずに、換気扇を回す。俺は、こする方に気がいき、これを忘却する事がある。合成洗剤を使うので、換気は、自己の体調保持のため、不可欠であるのに。
1)ぼろきれを水でぬらし、適度にしぼり、タンクの上部から、下部へ、なでさする。
ぼろきれは、おしまず、何枚も使って、乾いたほこりを取り去る。タンクにのびる、美しい銀色の配管や、座る便座や、フタの表裏、便器の土台、下の方まで、拭く。同様に、トイレの窓のさんや、ドアノブなども、このぼろきれで拭く。
2)ぬれぞうきんで、トイレ個室の、床を拭く。床の素材にもよるが、乾いたほこりは、掃除機で吸ってしまうより、ぬれぞうきんで拭き取る方が、「好き」だ。
そうともさ、合理的か否かではない、ぬれぞうきんで拭く事が、「好き」なんだよ!
3)粉せっけんを、片手につかみ、便器の中に、パッパッと、まく。
粉のついた手を、ぬれたぼろきれで拭いた後、その、せっけんつきのしめったぼろきれで、便器のワク部分(便座を上げた下のワク)を、力強く、磨く。このへん、かなりワクワクする。
*ウォシュレットさんの、ノズル部分は、微妙な部品なので、強く触ってはいけない
4)さあ、お待ちかね。さっき、ウンチョスが落ちる中に、まいた粉せっけんを、
シマウマ・ブラッシにて、こする!こする!ゴシゴシ、こする!ぐるりん~ぐるりん~
まわるブラッシ!ハケにぶつかる、象牙色のTOTO!
落ちてゆく黄ばみ、エーンド、ウンチョスこびり!
やっぱ、これが一番好きだなあ。そして、1回、流す。水流が泡だって、すてきだ!
5)芳香剤としての、お風呂用洗剤を、内部にスプレーする。そしてまた、ブラッシでこすり、また流す。
何故、「トイレ用洗剤」ではなく、お風呂用かと言うと、トイレ用は、匂いが「いかにもトイレ」で、好きでないからである。その点、お風呂用は、たいがいどこのメーカーの製品でも、花のようないい香りだ。洗浄力では、粉せっけんの方が上なので、合成洗剤は、つや出しと、芳香剤として、使う。
つーか、「こな」が好きなんだよ、粉まいてこするのがよう!
6)流せるトイレお掃除シートで、もう1回、象牙色の全体を、なでさすり、
ピカピカにつやを出して、さて、今日のところは、これくらいで、終らすとするか。
俺の、トイレへのこだわりは、掃除に留まらず、インテリアも、重要趣味である。インテリアとか、趣味とか言い出すと、それは「家事」じゃないという御意見もあろう。
その通りである。
家事とは、必要であるから、誰でも、スル行為を強要されるものだが、分野によって、好きずきがある。そして、好きずき=向き不向き、では、ないということだ。
俺は、トイレ掃除に「向いている」人材ではないと思う。
合理性(時間と投資の削減)よりも、いかに楽しむかを、追求する者だからである。
俺は、炊事に「向いている」人材ではあると思う。
凝って時間をかけることなく、食材を無駄にすることなく、なるべく安く、なるべく手際よく済ませ、そこそこ食えるものを作る者だからである。
家事と呼ばれる「仕事」は、職業で行っている「仕事」と同様に、人が暮してゆくために、必要な「仕事」である。これをオールジャンル、「好きでやれ」と、命ずる者がいたとしたら、それは間違いである。
上に列記したように、家事には、様々な分野がある。それぞれに、「調理師」や「クリーニング屋さん」といった、専門職が存在するような、特殊な技能である。しかし、家に住むならば、オールジャンルやらねば、暮らしていけない。
「好きなこと」だけ、して、生きてはいけないのが、浮世というものである。
きょうは、日曜日なの、うふー、換気扇つけて、さあ、すてきなおトイレ掃除いたしましょう、お粉をまいたら、ブラッシでこするのうふー
そんなふうに、きょうの午後は、「好きな家事」をスルことができた、ガラマニである。