新ガラマニ日誌

ガラリアさん好き好き病のサイトぬし、ガラマニです。

人は、気がつかずに、他人を救っていることがある

ハァーイ、あなたの窓辺の結露部分、ガラマニでぇーす。本家サイト の宣伝シリーズ。俺がまだこのブログを始めていない頃か、始めて間もない頃か?サイトトップに、「本日の叫び」とかタイトルして、思ったことを、どんどん書いていた記事を、集めたものが、こちら。

ガラリアさん好き好き病トップ の記事の2006年度過去分。
http://www11.ocn.ne.jp/~garamani/kako.new.html

色んな話題について、書いてます。ゼータガンダムの映画についてとか、私生活についてとか…。そのうちに、こういう、テーマの異なる記事群は、テーマ別に独立URL化できる、ブログツールのほうが向いていると思い、ここ、「ガラリアさん好き好き病更新履歴」とタイトルコールした、はてなダイアリーが、実質、ガラマニの日記コォナァになってゆきました。

ガラリアさん好き好き病トップ の記事の2006年度過去分。 の、いくつかの記事を、読み返すと、いま現在とは、考え方が、けっこう、かなり、変わってきたんだな俺、と気がつきます。デッドリンクになってる部分もありますが、(はてなRSSとか)、デッドリンクになったんだなーということがわかればエエと思い、書き直しは、しませんでした。

さて、この中から、2006年3月1日水曜日に、書いた文章を、まるっと、ここに転載しましょう。

06/3/1(水)
最近、涙もろいです。今日も、サイト巡りをしていて、
書いてる方は、泣かすつもりなんかぜんぜんないであろう記事を読んで、ハラハラ泣いてしまいました。
泣きながら、「○○さん(サイト作者さんの名前)、ありがとう〜」と、お礼を言っておりました。
「人は、気がつかずに、他人を傷つけていることがある」とは、よく言われます。
その逆が、あります。俺はこのことを、声を大にして言いたい。
「人は、気がつかずに、他人を救っていることがある」と。
何年も前のことです。俺は、私生活上の悩みをかかえて、どん底の日々を送っておりました。
しゃべることも、息をするのもやっとで、ましてや、笑うことなど、忘れてしまっていました。
それでも、仕事は休めません。はうようにして、出勤しました。その日、勤め先では、会議がありました。
その会議と呼ばれる行事は、いわゆるひとつの「吊るし上げ」でした。一人ずつ、壇上に立たされ、
職務上の成果と失敗を発表するんですが、おおぜいの上司たちから、矢のように叱責をくらうのです。
大の男も、社内一の美人も、自己の全否定をされた気持ちになり、泣かされるのです。
その日は、俺の番ではありませんでした。見てる方です。新人の男性社員が、壇上に立ちました。
案の定、彼は、上司たちから、くそみそに非難されました。すると、彼は、大声で、
「だって、ぼくだって、必死でやってるんですよぉ〜!!」と叫びました。語尾が、裏声になりました。
その叫び方の、情けなさは、かわいそうを通り越して、滑稽でした。会議室にいたみんなが、クスクス、笑いました。
俺も、笑いました…他人事じゃないのに…あまりにも、裏声が、滑稽だったんです。「あはは。」と、
俺は、笑いました。

あ。

「わたし、いま、笑った。」

苦しくて、苦しくて、もう笑えないと思ってた、はずの、俺が。笑うことが、出来た。
悩み始めてから、もうずっと、何ヶ月も、笑いを忘れていた俺は、叱られて泣き叫んでいる青年の姿を見て、
かわいそうな人を見て、でも、彼のおかげで、俺、笑えたんです。
そのとき俺は、心の中で、その青年に、こう言いました。
「ありがとう。あなたは、わたしを、救ってくれたんだよ。
内心の私と同じように…泣き叫んでいる、いまのあなたには、そうとは伝えられないけれど、
ありがとう。わたしに、まだ、笑えるちからがあると、わからせてくれた、あなた。本当に、ありがとう。」

いま、パソコンの前で、「今日のブログは、どんなことを書こうかな?」と思っている作者さん。
どうか、自分らしく、堂々と、なんでも、書いてください。
どんな内容だって、いいんです。愚痴でも、批判でも。その内容によって、傷つく人は、います。
そして、救われる人も、いるんです。

俺は、サイト運営をはじめてから、今年で、8年めになりますが、引用記事の最後の部分、

いま、パソコンの前で、「今日のブログは、どんなことを書こうかな?」と思っている作者さん。
どうか、自分らしく、堂々と、なんでも、書いてください。
どんな内容だって、いいんです。愚痴でも、批判でも。その内容によって、傷つく人は、います。
そして、救われる人も、いるんです。

これにかんしては、まったく、考え方は、変わっていませんし、これって、当たり前のことです。

我が家の大事な家族である、黒猫三兄弟、黒い三騎士 の次兄、ホシが、車にひかれて、死んだ日。

友人と思っていた人たちと、いさかいになる。親友を失う。好きだった人に、ひどい言葉をなげつけられて、ふられる。恋という感情を、失う。仕事は当然、うまくいかない。日に日にやつれて、容貌は醜く、しなびてゆく。

これ以上、辛い事は、起こらないと、思っていた日でした。ホシが、仏壇の前に置かれた、黒い「死骸」になっていたのは。

ホシが死んでしまう日の直前まで、友人と、好きな人を失った俺が、辛い気持ちでウェブサイトをひらき、なにか、楽しそうなサイトはないかと思い、見ていたのは、
猫の写真がたくさん掲載されてある、サイトでした。俺は、黒い三騎士に、こう語りかけました。

「あんたたちの写真も、今までより、もっとたくさん撮って、ガラマニさんのサイトに、載せるからね!」

その矢先に、パソコンデスクの足元で、ニャアニャアお返事してくれていた、ホシが、死にました。

それ以来、俺は、自分の猫を、デジカメで撮ることができなくなり、自分が作った、黒い三騎士のページも、見返すことが、できなくなりました。よその、楽しげな、猫写真サイトを見ると、余計に気分が悪くなり、辛くなり、見られなくなりました。あんなに俺を励ましてくれていた、猫写真サイトが、こんどは俺を苦しめたのです…!

でも、その後、ホシの死を乗り越え、今では、今年10歳となり、めでたく「ねこまた」を襲名する長兄スミと、三男ロミのデジカメ記事を、発表できるようになっています。よそ様の、猫写真サイトも、撮影技法など、楽しく、見ることが、できるようになりました。

どんな内容のサイトが、不愉快で、どんな内容のサイトが、不愉快でないのか。決めるのは、その日、その時の、自分です。個々人です。何度でも、言います。

「人は、気がつかずに、他人を救っていることがある。」

と。

ありがとう、遠いあの日、どん底だった俺に、「笑み」をくれた、泣いていた青年。ありがとう、俺に、無償の愛を教えてくれた、黒猫ホシ。ありがとう、様々な批評をくださる、読者の皆さん。