新ガラマニ日誌

ガラリアさん好き好き病のサイトぬし、ガラマニです。

検索避けを入れない

検索避け推奨サイトの総本山、「検索避けを入れよう」さんについて。
http://kensakuyoke.client.jp/

初めてこのサイトさんを見たとき、俺には、まったく意味がわかりませんでした。キツネにつままれてるような気持ちでした。

俺がインターネット閲覧を始めたのは、1999年頃でした。大好きなアニメ「聖戦士ダンバイン」をヤフーで検索して、ヒットしたのは、非合法同人サイトだけでした。

その後、2003年から、自分自身もダンバインの同人サイト「ガラリアさん好き好き病」を作るようになりました。

同アニメの公式サイトがオープンしたのは、俺たちファンサイトの、はるかはるか後発でした。現在も、検索語句「ガラリア」でグーグル第一位は、俺のサイトです。

そんな俺は、ネットサーフィン先で「検索避けを入れよう」さんをみつけたとたん、脳内ふえるわかめちゃんになりました。ロボット検索にしろ、人為的なリンクにしろ、なんにせよリンクによって世界中がつながる媒体であるインターネット上で、なにを言い出しているのやろかー?と思いました。

大好きな漫画・アニメ・ゲームを調べようと大型検索サイトで検索をしていたら、BLは苦手なのにうっかり覗いてしまった・ いきなり飛んだ先で18overのサイトを見て衝撃を受けた・大好きな漫画、アニメ、ゲーム等を貶されている様を見て沈んでしまった。 そんな経験をしたことはありませんか?

あります、ありますとも。例えば「風の谷のナウシカ」で、俺のベストカップリングはクシャナ×クロトワなんですが、あろうことか、クシャナ×ナムリスが検索で出て、もう許せなくて、姫殿下になにやらすんじゃいと怒りました。クシャナ×ナムリスにかんしては、ファンの二次創作どころか、俺はパヤオ尊師による原作ですら許せず、アニメージュ連載当時には、声をあらげて怒ったもんです。クロトワさんが怪我で療養中に、姫殿下を誘拐するナムリス!しかも姫殿下が、まんざらでもない的様子で、浮気的言動をするんです。ひ、姫殿下ぁーッ!
(この話題でサイトが一個できるぐらい語るので以下略)

そうなのです。それが当たり前じゃないですか。好悪の感情を誰が決めているのです?自分自身です。

書き手が、受け手の感情を決めることはできない。宮崎駿ですら、クシャナ×ナムリスを、俺に受け入れさせることはできなかったのです。

好悪の感情とは、対象物の属性ではなく、感じている人間の属性なのです。作品がイメージを作り出す=読者ひとりひとりが個別のイメージを持つ。「検索避けを入れよう」さんが間違えているのは、まずこの点です。こんな当たり前のことをわからない人が、この世に存在していることが、俺には信じられませんでした。ええ、衝撃を受けましたねえ。

またサイトを運営している立場の方々は、いきなり大型検索サイトから飛んでこられて、「もしかして同人知らない人に見られた・・・?」「まさか中学生とか飛んできた?」などと、登録もしていない検索サイトから 飛んでこられてドキドキした経験はありませんか?
そんな不安をなくしてネットサーフィンを楽しもうよ!を推奨するのがこの【検索避けを入れよう】です。

同人サイトがはらむ、著作権法への論点は、検索避け推奨論者にとっては、後付け設定のように感じています。好例が、「検索避けを入れよう」さんです。引用文の、「BL」「18over」を、「同性愛」「成人向け」に置きかえて、どうですか。同じでしょう。「犬」でも「猫」でも、何かをネット検索していて、不愉快なものを目にしないことってありますか。ありません。

過去記事「同人サイトに注意書きや検索避けは必要か?」にも書きましたが、そもそも、ひとの感性とは、数多い愉快でないものの中から、数少ない愉快なものを抽出するのです。おまえのサイトは不愉快じゃー!呼ばわりされるのは、なにも同人だから、やおいだからだけではない。同人の存在を、知ってる知らないなんて、関係ありません。

俺が検索していて、よくあるパターン。なんてきれいなイラストだろう、プロフィールを見たら中学生だと書いてある。凄腕の絵描きだな、将来が楽しみだなと。俺は、オリジナル絵だと思って鑑賞していた。それが、さいきん流行ってるアニメの二次創作だったり、芸能人の似顔絵(ナマモノ)だというだけで、

無断リンク禁止!オンラインブクマ禁止!「検索避けを入れよう」を読め!

と、こうです。なにが大切なのです?著作権法(等、現行法)と、「検索避けを入れよう」さんは、こういう、有望な絵描きの、創作意欲を減退させたいのですか。

「検索避けを入れよう」さんの発想は、「不愉快に感じられたらどうしよう」から始まっています。そこが間違いなのです。

作者が、読者の感想を、あらかじめ決め付けるとは、ひとの感性にたいする傲慢です。まずここをわかってほしい。根底にあるこの問題を見過ごし、法律を持ち出すから、観念論と客観論がごちゃまぜになるのです。インターネットにある性的表現を、規制しようとする連中と、逃げ隠れしようとする連中、どちらも、ひとの感性をなめている。

なにが悪で、なにが善なのか?ひとの感性に対して、政府ごときが線引きするなど、おこがましいにもほどがあります。

映画「愛のコリーダ」が性器を映したと非難されたとき、大島渚監督はこう言いました。「わいせつの、なにが悪いか。」と。誰でも見られるインターネットと、映画とでは、閲覧条件は異なるものの、「愛のコリーダ」のようなすばらしい作品を、公開できなくしたやつらの傲慢さは、インターネット規制論者と同じです。

実のところ、検索避け推奨論者も、発想は同じです。他人様の感性を規制しようとしているのですから。そう、悪だと感じるのは自分なので、悪と呼ばれたものが悪なのではない。

なんのためのインターネットなのです?じゃあ、インターネットが悪なのですか?グーグルとヤフーを避けてみたところで、検索ロボットは、ほかにいくらでもあります。

確かに私達がしている行為は違反です。法律的には間違いありません。

間違い大有りなんですが、法律論は、俺は(この記事では)ふれません。

まだ私達にもできることはあります。その一つが「【検索避け】を入れよう」なのです。

さんざん間違った法解釈を述べた挙句に、たどり着いた結論がこれかと。あまりにもお粗末だな、と、思ってます。

俺は、検索避けを入れない。