新ガラマニ日誌

ガラリアさん好き好き病のサイトぬし、ガラマニです。

第39話 男が怖れる老い

ガラマニは女だから、美容には気を使う。少しでも若い肉体を維持しようと、アンチエイジング化粧品を使ったり、健康サプリメントを試したり、努力している。幸い、太る体質ではないから、3サイズは気にしたことないけど、なにせ「聖戦士ダンバイン」本放送年からこっち、3サイズに変動ないけど、こういうこと書くと反感買うけど、でもホントだものぉ〜♪と思うけど、まーとにかく、日夜、「老い」と闘っている。この記事書きながら、顔面にはデストロイヤーのような真っ白いコットン製の、ローションパックを貼っとるしな。そんな俺が「老い」を意識し始めたのは、たぶん十代からだ。18歳を過ぎた頃には「もう少女じゃなくなったんだ」とプチ落ち込んだし、25歳を過ぎた頃には以下略
今回の「功名が辻」を見ていて強く思ったのが、自分とは違う生き物である、男たちが怖れる「老い」についてだ。死に瀕した秀吉の、老いさらばえた醜悪さ。淀は「おじいちゃん、おくちくさ〜い」って言うし、盟友・前田利家は、秀吉のおもらしを、ガキのせいにしてフォローしてくれるし、そうされている秀吉の…いや、還暦をすぎた男の気持ちとは、いかに辛いかを、しみじみ訴えかけられた。
秀吉は、老年に栄華を極めたせいもあり、生への執着甚だしい。生にすがるじじいの醜さを、柄本明氏は、持ち前の体当たり演技で、充分に見せてくれた。権勢を持つ者は、後顧の憂いを恐れる。豊臣家の行く末を案じる。子々孫々を心配する男の心根は美しいものだが、しかし、「後は任せた!」と思えないほど、豊臣秀吉は死に際において、政治的に追いつめられていたのだなあ。かわいそうな人だ。為政者になること、栄耀栄華を思いのままにすることが、人にとって幸福なのではないと、俺は思った。ガラマニは、人生の何に重きを置くかと問われれば、精神の自由を第一に願う。財産や権力を求めて生活したことが、今までの人生で、一度もない。愛読書である美輪明宏先生の言葉に、こうある。
「人は、生きてきたようにしか、生きていけないのです。」
脱線した。男が怖れる「老い」を感じた、もう一人の登場人物は、山内一豊だ。千代は、一豊に、おにゃのこをあてがい、やっちゃいなさいと設定するが、このおにゃのこがまた、なんでまたそんな不細工を持ってくるんだという顔なのだが、まあハメるのはアリだろう。だが、一豊は拒絶した。なんでだ、と、やりたい盛りの年代の視聴者は思う。俺も思う。考えて、まず一豊は、男の中でも、女遊びが出来ない部類に入ることがある。山内一豊と賢妻の逸話を見るにつけ、こういう夫婦は、女の方が恐妻だから浮気が出来ないのではなく、男の方が、浮気したくても出来ないタイプなんだよなあと思っていた。いるよ、こういう御仁。一豊も若い頃には、小りんとやっちゃっていたが(実際には、ドラマに描かれていないだけで、他にも女とは、いくらも寝ていたに相違ないのだが)、しかし五十路を前にして、作中では、もう愛妾は持たないという選択をした。
なぜかと考えるに、「老い」だなと思った。もとから一豊は、セックスがそんなに強くないタイプだ。精力というものは、持てる者には有り余るが、持たざる者には、どうしたって手に入らないものだ。「若い子相手にして、ショボショボになったらどうしよう。」「千代の命令で褥に来ただなんて、後で女同士で、わしのアレがどうのこうのと噂されるのはいやじゃ。」こうした杞憂は、性欲を持て余す秀吉みたいなタイプには無縁なのだが、一豊は気にしてしまうのね。小りんと付き合ってた、若い頃には気にならなかったことが…山内家内部のこと、側室に子供が出来たら、弟一家との兼ね合いはどうなるか、家庭内で千代と家臣たちには、どんな振る舞いをすればいいのかと…色々エロエロ心配して、そっち方面に消極的になってしまう、そんな一豊に、俺は、男の怖れる「老い」を見た気がしたんだ。
それにしても、カラカラカラカラ唐沢寿明演ずる、前田利家は、存在感あったなあ。一回こっきりのゲストに、こうした趣向はおもしろいぞ。俺みたいな往年の大河ファンは、大喜びさ。