新ガラマニ日誌

ガラリアさん好き好き病のサイトぬし、ガラマニです。

ガラマニ日誌〔13〕04/1/24(土)「名神 高速子さん」

「おお わたしの友達よ!
 わたしたちは このような旋律ではなくて
 もっと心底よりの 歓喜に満ちて
 楽しもう そして 歌おう

 歓喜 それはまばゆい神なるものの閃光であり
 至福の国より流れ来たる しらべなのだ
 わたしたちは この歓喜の中にあるのだ
 あの神のおわす場所へ向かい 生きていくのだ

 天恵を受けた者もいるだろう
 美しき妻を得た者もいるだろう
 そして ただ1人の 友を得た者ならば この歓喜の歌を歌うのだ!

 そうだとも たった1人でも この世界に
 友達と呼べる者を持てたならば!
 そしてそれさえも かつて持てなかった者ならば
 嘆き悲しみ この輪から去るがよい

 おお 友達(Freunde)よ 歓喜(Freude)よ
 自然とは わたしたちに口づけと美酒をもたらし
 死の試練を経た友達を 与えるのだね
 
 走れ わたしの友達よ 君の進むべき道を
 凱歌をあげ 君の道を進め
 わたしの友達は英雄が如く 走る

 友達よ その名は Freunde 歓喜 Freude!」

原詩:シラーとベートーヴェン 日本語訳:俺

 

のっけから、第九こと「歓びのうた」を歌い上げてしまったが、本日のテーマはそう、友達である。

前回の日誌でチョロリと登場した、名神 高速子さん(めいしん こうそくこさん。仮名)について書きたいと思う。ちなみに彼女は、ネット環境にないので、ココにこのように書かれておるとは、露知らぬ。許せ高速子さん。

高速子さんとは、小学校5年生の時、同じクラスになり出会った。
彼女は、成績優秀な生徒だった。そして、当初、俺とは、仲良しではなかった。どちらかと言うと、仲が良くなかった。
国語の授業中、生徒間で、解釈議論になると、常に、俺と高速子さんは、対立した。

俺「この文の<彼>は、軍曹を指すと思いまーす」
高速子さん(以下、高)「違います、この<彼>は、主人公だと思いまーす」
俺「軍曹やんか、前の行に出とるやん」
高「違うやん、3行前の<僕は~>が主語やろっ」
俺「なにい、高速子さんはいつもそうやって反対ばっか言うんや」
高「本に書いたる事を、言っとるんやんか。ガラマニさんの反対ばっか言っとるんやないがね」

(余談:方言が、変換できーへんので、イライラする)

先生の解説により<彼>は、軍曹ではなく主人公である事が判明し、俺は悔しがったものだ。

高速子さんとは、つまりライバル的位置にあったと、俺の方は思っていた。6年生になった。5、6年は、持ち上がりであるから、高速子さんとも同じクラスで、競い合っていた。

運動会があった。俺の小学校では、運動会の組み分けが、赤団と白団の二種で、同クラス内が、赤と白に分けられた。俺は白団、高速子さんは赤団の配属となった。そして、俺は白団の応援団長になり、高速子さんは、赤団の応援団長になった。

応援合戦の練習が、毎日続くとともに、赤VS白の対決色が、日に日にエスカレートした。
団長同士が、ライバルだからである。
運動場の場所取りで、喧嘩。体育館の場所取りで、喧嘩。
応援歌に採用する、替え歌の元ネタを、どっちが先に、思いついたかで喧嘩。

俺「アラレちゃんの主題歌は、白の応援歌にするんやで、あんたなんか、後から真似したんやんか」
高「ガラマニさんの真似なんかしとらへんもん。アラレちゃんは誰だって好きやんか、誰でも思いつくわ、そんなもん」
俺「うそや、高速子さんが、あたしの真似したんや」
高「誰でも思いつくっちゅーとるやん。ドクター・スランプは、今、流行りなんやで」

ここまでの、高速子さん(満12歳時)の発言を思い返して、判明である点は、彼女は、常に、事実に立脚した意見を、堂々と言う人である点である。その点、当時同い年だった、俺は、幼稚である。応援団長という大役に任ぜられたのに、彼女への個人的感情でしか、発言・行動してなかった。

運動会の当日になった。応援合戦の演技には、先生方数人が、審査員となり、点数を出す。
我が白団と、高速子さん率いる赤団との、注目の点数は。

同点。

今にして思えば、毎日大声で言い合いをしていた、俺と高速子さんを、思いやっての先生の采配であるが、当時の俺は、それがわからなくて、納得いかないと、審査員の先生に、食ってかかった。その俺に、注意し、止めた人。それも高速子さんだった。

高「ガラマニさん、あかんて。先生が決めたことやん」
俺「なにい、あんたは負けんかったから、ほんやで安心したんやろ!」
高「あんたがさわいどると、次の種目ができんがね」

運動会の、全種目が終わり、総合点が表示された。
紅白の、ちり紙のお花で縁取られた、ダンボール製の点数版に、出された点数は。

1点差で、赤団、つまり、高速子さんの勝ちであった。

俺は、悔しくて…でも、泣き顔を、高速子さんに、見せるもんかと、白い鉢巻で、涙をぬぐい、わざと笑顔を作り、彼女に歩み寄り、右手を差し出した。

俺と、高速子さんは、しっかり握手をした。


その時から、俺と、名神 高速子さんは、親友になったのだ。


(この、名神 高速子さんVSガラマニ の運動会対決は、卒業アルバムに、名場面集として、掲載されるほどの名勝負であった。)


中学は地元の公立校であるから、高速子さんとも、当然、同じ学校へ通った。
毎朝、俺は、名神さんちの玄関前に立ち「こうそくこさーん、がっこいこー」と呼び、一緒に通った。中1では、違うクラスになった。俺たちの通う中学校は、マンモス校で、1学年が15組まであった。当時は、子供の数が多かったこともある。俺のクラスと、高速子さんのクラスは、別々の校舎にあった。

中1のクラス内で、新しい友達もできたが、俺は、毎日、放課後になると、足しげく、高速子さんのいる校舎へと行き、一緒に帰り、道々、たくさん、お喋りをした。
ちなみに、中学校へは、片道徒歩45分かかった。毎日毎日、往復90分間、3年間。
俺と高速子さんは、飽く事なく、話した。

俺「中学になって、科目増えたやんか。英語はまんだええけど、数学が難しくなって、あたしは苦手やわ」
高速子さんは、数学も英語も、学年の1位、2位を争うほど優秀だった。勉強では、俺は、既に、高速子さんの<ライバル>では、なくなっていたが、2人は、マンガやアニメの話し、歌謡曲の話し、そして恋の話しに、毎日、花を咲かせた。

俺「昨日のダンバイン見たかね!ガラリアさん最高やわ、高速子さんは誰が好きぃ」
高「昨日のベストテン見たかね!チェッカーズ最高やわ、ガラマニさんは誰が好きぃ」

と、既に趣味の分野も、かなーり、異なっていたが、だからと言って、会話が成り立たないはずがない。なぜなら、高速子さんは、俺が熱く語るダンバイン話しに、熱心に耳を傾け、意見を言うし、また、俺が昨日のベストテンを見てなくても、わかるように、且つ面白く、説明してくれるからである。俺は、彼女によって、やたらチェッカーズには詳しくなった。

余談:よかったなあ、当時は、高速子さんでさえ、ダンバインを毎週見ていて、1週間、次話までの毎日、ダンバインの続き予想や、キャラへの思い入れを話すことができたのだ。ちなみに、高速子さんは、第7話で、リムルを連れ出すためにラース・ワウへ潜入したニーを、下水溝から、黙って見守る、マーベルの姿に、感動し、

高「かわいそう!マーベルはほんとにニーが好きなんやね、あんなにじっと見つめて!見い、あの切ない顔を!ほんとに好きなんやわ、ニーが」

と、語っていた。彼女のこの指摘により、俺は、ダンバインという作品には、台詞にしない、セル画だけの描写で、訴えている感情表現が多い事に、気がつかされたのだった。
(だが、現在の高速子さんは、マーベルもニーも、忘却の彼方にある…)


中2のクラス分け発表の日。なんと、高速子さんと、同じクラスになった!
セーラー服の高速子さんは、廊下の彼方から、駆けて来て、俺に飛びついた。

高「ガラマニさん!おんなじクラスやわ!やった、嬉しいね!」

あの時の、高速子さんの笑顔を、俺は、いつまでも忘れない。

さて、再び、同じクラスになってみて、俺は、高速子さんの、すごさが…ますますわかってきた。学業では、もはや届く事のないところへ、彼女は行っていた。俺は、彼女との、成績差に、焼きもちをやき、それを口に出せずに、高校進学までを、苦しんだ。

しかし、高速子さんの、すごいと思う点は、以下のエピソードに、凝縮されている。同クラスで、他の友達もできたし、成績差は歴然としていたが、俺と彼女との友人関係が、壊れることは、決してなかった。こんな事が、あった。

英語の、若い男の先生は、怖いので有名だった。ある日の授業のはじめに、宿題を出せと言われ、忘れてきていた俺は、先生に叱られた。それで、俺は、挽回しようという考えで、叱られた後のその授業中に、忘れてきた宿題を、やってしまったのだ。そして、授業後、先生に、さっきの宿題出します、とノートを差し出したところ、先生の叱責を受けた。授業中に、ほかごとやっとったんか!と。当時の俺は、浅はかにも、なんで叱られたのか、わからなかったのだ。
先生は、なにを怒ったのだ、理不尽だと、俺は高速子さんに訴えた。
彼女は、俺の目を見てはっきり言った。

高「授業中に、宿題やったらあかんに決まっとるやろ」
俺「でも、先生の話しはちゃんと聞いとったし、授業のノートもとったし、プラス宿題までやったのに」
高「それは、昨日までに、家でやるべき事。あかんやろ。そうやろ?わからんといかんわ、ガラマニさん」

先生に言われても、理解できなかった事を、彼女にこう言われて、俺は理解できたのだった。

高速子さん以外の級友は、俺に「あの先生コワーイ、にくったらしいよねー」とかなんとか言ったと思うが、高速子さんだけが、よりによって高速子さんが、俺に厳しく言ったので、記憶に鮮明なのだ。


そう、高速子さんを、俺が畏敬し信頼するのは、いけないことは、いけないと、言う人だからである。おうおうにして、友情と馴れ合いは、混同される事が多い。特に、10代の年頃にあっては、大人に内緒にしたい偽りや、ごまかしを、かばい合う行為によって、「ともだち」関係が成立すると、思い込みがちである。確かに、「ともだち」の世界内でだけ成立する理(ことわり)はあり、それはそれで、大事である。

中学生の俺には、そういった子供時代から、大人になる成長期にあって、高速子さんという友達がいた。


中3になり、受験。高速子さんは、地元の最もハイレベルな高校へ進学した。
俺は、小学校時代からだんだん、高速子さんに成績面で引き離され、学校内で、優秀高へ行く者と、そうでない者とが、差別される中学生活を、当時は、この世の終わりのように、苦しいと感じていた。受験勉強も辛かった。数学が苦手で、5教科必須の高校受験が、大学受験よりずっと、辛かったと感じた。

俺は、新設の普通科高校へ進学した。有名進学校に行った高速子さんを、うらやましいと思っていたのは、入学式の前夜までだった。この高校は、なんとも、実に楽しい、いい学校で、俺は、充実した高校生活を、満喫した。俺の高校については、語り出すと、楽しすぎて千夜一夜物語になるので、別の機会にする。
高校時代に知り合った友達には、ガラマニサイトを見ている人もいる。メール、遅れがちですまん!(私信)


高速子さんとは、別々の高校であるから、会って話す機会も、少なくなった。
特筆すべき点は、当時は、携帯電話もパソコン通信もなかった。自室に自分用電話や、または自分用テレビを持つなんて、高校生には許されないのが普通だった。一家に一台の電話で、未成年者が長電話するなど、言語道断であった。であるから、高速子さんと話すとしたら、電話なら、せいぜい3ヶ月に1回ぐらい、数十分、会ってお喋りするなら、家は近所だから、名神さんちに、直接歩いて行き「高速子さんいますかー?」てなノリだった。

高校は、大学受験にクラブ活動にと、自分の高校内が忙しいので、高速子さんとは、このように、たまに、お喋りするだけであったし、日曜日に(当時は土曜日も学校があったので休日は日曜日だけである)一緒に、繁華街等へ、お出掛けした記憶もない。つまり、長時間一緒にいる事はなくなった。

高3の時、俺は、生まれて初めて失恋し、悲嘆に暮れていた。
数回デートしていた相手から、電話で「俺、今、彼女いらないんだよねー」という言い方でふられたのだった。ちなみにチューもしてない仲であるが、当時は、この失恋が、この世の終わりのように辛かった。
話しを聞いてほしくて、俺は歩いて、名神さんちに行った。
俺と同じく、大学受験勉強中の高速子さんは、パジャマ姿で、玄関に現れ、2人は道へと出て、路傍の石に腰掛けた。高速子さんは、言った。

高「なんやの、そんな男。この先、ガラマニさんが、もっといい女になって、見返してやればいいんやて」

当時、満18歳の俺には、高速子さんの、この言葉が、天の御声のように、目ウロコだった。なんて大人なんだと。そして、高速子さんに、そんな男、と吐き捨ててもらって、俺は胸のつかえがとれた。


高速子さんは、いつも、俺の先を歩いている人だと、感じた。
そして、学校の勉強の、成績差だけで、ひがんでいた自分を、恥ずかしく思った。彼女に、この時言われた言葉。もっといい女になって。それは、俺は、ふられた男のためではなく、

彼女のために、友達のために、なろうと思った。

高速子さんは、国立大学にストレートで入った。俺は、総落ちで、浪人生に。
だが、この頃になると、俺は、偏差値=賢さではないと、わかっていたし、また、好きなジャンルの学究をする行為そのものへ、打ち込む歓びを知っていたから、高速子さんへの、焼きもちなど、微塵もなくなっていた。成績差への嫉妬は、中学で卒業していた。

ただ…高速子さんが、遠い土地へ、大学の1人暮らしへと、引っ越してしまったことが、寂しかった。


浪人生活1年後、俺は、高速子さんが住む土地に、ほど近い、二つの大学に合格した。どちらも、ミリキ的な大学だったので、どっちに進学すべきか、迷った。遠い土地に引っ越して1年経過する高速子さんの、現地のアパートに、電話して、どちらがよいか、相談しようと思った。その地方に住んでる高速子さんならば、どちらがいいか、よく知っているに違いない。

ちなみに、浪人生の大学受験中にあったので、俺は、相当な禁欲生活をしていた。
高校時代までと、比して。
テレビは週一、NHK大河ドラマ武田信玄」しか見ず、
晩酌は、ノンアルコールビールに切り替えて、
(高校までは、普通~に、夕食時にキリンビール飲んでいた)
飲み屋に呑みに行くのは、月に1回だけに決め、ブランデーは控えて、ハーフ&ハーフを飲み、マンガや同人誌を、描くのは、やや控えて、読む方に熱心に
…とにかく、高校時代よりは、禁欲を心がけていたので、友達と長電話なんて、全然してなかった。
遠方に住む、高速子さんに、電話し、彼女の声を聞いたのは、約1年ぶりであった。

俺「もしもしー、あ、高速子さん。あのさ、あたしさ、○阪のA大と、○都のB大に、受かったんやけど」

次の瞬間、高速子さんが、放った 言語 に、俺は慄然とした。

高「 えらいやーん 」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・活字では、伝えにくいが、

高速子さんとは、小5の時から、ガラマニ地方弁で、しゃべくり合ってきたのだ。
俺の脳内では、「 えらいやーん 」という、イントネーションで、喋る人物=漫才師、やすきよ桂三枝であった。「 いらっしゃーい 」のイントネーションである。

それだのに、幼馴染みの、高速子さんが…開口一番「 えらいやーん 」受話器落とすかと思ったぞ。

俺「…高速子さん…」
高「えらいやーん、おめでとう~、ガラマニさん」←おめでとう~部分も、三枝師匠
俺「その…言葉づかいは、なんなのッ!」
高「なんかヘン~?」
俺「か、かんさ、関西弁…高速子さん、あんたは、ココロまで関西に売ったんか!」

ま、それはさておき、高速子さんの詳しいアドバイスにより、俺は、京○のB大に進学した。進学後の、俺の一人暮らしの住居については、ガラマニ日誌〔8〕を参照されたし。

高速子さんの大学と、俺の大学はさほど遠くないので(そろそろ、伏せ字にする意味がなくなってきたな)、しばしば、河原町京都市内の繁華街)で食事したり、遊んだりするようになった。
高速子さんは、京都市内に住む男性と、恋仲になっており、ちょくちょく、出てきていた事もある。

高速子さんの、人生最初の、その彼氏とは、俺も、よく顔を合わせて話していた。
高速子さんと彼氏が、俺のアパートに遊びに来たこともある。

仲良さげな、高速子さんと、彼氏を、俺は、心より祝福していた。

俺は京都の大学を、4年で卒業 させてもらい 実家に帰り、就職した。
理系大学の高速子さんは、修士課程に進んだ後、そのまま関西で就職した。と言うより、関西が実家の、彼氏と、同棲していた。双方の親御さんにも了解を得て、いつ入籍しようかと

俺は、電話越しに、嬉しそうに話す、高速子さんの、幸せを喜んでいた。

高「名神って苗字も、もうすぐ、変わんねんで~」

俺は、現在も住んでいる、地元におり、高速子さんは、大学進学以来、ずっと関西に、つまり、彼氏とともにいた。彼女は、大学1回生時から、20代の後半まで、ずっと、その彼氏と暮らしていた。高速子さんは、人生初めての、その男性と、結婚するのだ、と、何年間も、思っていた。俺も、高速子さんも。


1990年代の後半、俺は、突然、仕事を辞め、臥せるようになった。
あの頃の俺は、ふとんにくるまり、泣いては眠り、眠っては悪夢にうなされていた。
今、思い出しても、あれはこの世の終わりだ。
唯一、枕もとにあった、自室有線電話にすがり、悩みを話せる友達に、苦しみを訴えていた。

何人かは、そんな俺の、電話攻撃に辟易したのだろう、疎遠になった人もあった。
こういう話しを、敬遠する人もいるのだな。迷惑をかけてしまうし、俺が、友達を失うのもイヤだから…激昂した状態の、俺の電話を、投げつけられる人は、限られていた。

関西に住む、高速子さんは、電話で、熱心に、俺の、声を聞き、そして話してくれた。手紙も書いた。彼女からの封書も、届いた。便箋には、高速子さんの、流麗な文字で


『不思議だね。ガラマニさんに、手紙を書くのは、これが初めてだね』


とあった。そうだね、高速子さん。貴女とは、小学校から同じ、家も近所で、昔は、同級生同士が、年賀状とか、郵便物をやり取りする事はなかったし。そうだね、高速子さん、貴女は、今は、遠い土地に住んでるけど、いつも一番近くにいた気持ちがするよ。

俺の悩み事を、聞きながら、やはり彼女は、きつい助言も言ったし、俺がトラブった相手との仲裁もしてくれた。

そんな彼女の態度、言動は、凛々しい大人であり、頼りになる…いや、いつも俺が、彼女を頼ってばかりだ…そして、俺の悩み事は、だいぶ回復していた、ある日。


高速子さんから、電話がかかってきた。ここんとこ、俺は、高速子さんと話すとしたら、自分の悩み事ばかりだった。一方的に、訴えるばかりだった。そんな刹那、電話越しの高速子さんは、


   泣いていた。その時、俺が思った事とは、


   高速子さんでも 泣くのか


高「ガラマニさん…今度は、わたしの方が、あかんねん」←もうすっかり三枝師匠口調
俺「どうしたの?!」
高「彼が…」

彼とは、高速子さんが、大学入学以来、ずっと付き合ってきた、もうすぐ結婚するねんと、聞いていた、あの彼氏である。

俺「彼氏が、どうしたの。あれ?一緒に住んどるんやろ?」
高「そうだけど…今日、いきなり…うっ、うっ、職場で…知り合った、別の子が好きになったから、結婚はなしだって、別れるね、って言われて」


  別 れ る ね ?


別れてください、別れよう、じゃなくて、「別れるね」?

ふとんに横たわっていた、俺は、立ち上がった。

俺「高速子さん、あたしが、あたしがついとるで、な…泣かんといて、

 こ…高速子さんは、あたしに、言ったやんか、
 …高3の時に…なんやの、そんな男、って、言ったやんか!」

そうだとも。今度は、俺が、高速子さんを、助けるべきだ。いや、違う、助けたい、高速子さんを、俺の友達を、傷つける者は、


 俺が許さない

 

「おお わたしの友達よ!

 おお 友達(Freunde)よ 歓喜(Freude)よ
 自然とは わたしたちに口づけと美酒をもたらし
 死の試練を経た友達を 与えるのだね

 走れ わたしの友達よ 君の進むべき道を」