新ガラマニ日誌

ガラリアさん好き好き病のサイトぬし、ガラマニです。

白い猫

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ガラマニが、中1になる直前の春休み、1982年の3月末。
この白い猫は、生まれたばかりで、我が家にやって来た。

母猫のシャムは、知人の飼い猫で、
子猫をたくさん生んだので、一匹飼ってくれないか、と頼まれて。
うちに来た日の、そのメス猫は、俺の手の平に乗るほどの小ささだった。

名前は、阿修羅の羅をふたつ書く、ララと命名

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全身真っ白の毛だが、体型はシャムの特徴を持ち、
しっぽの先が、鍵状に曲がっている。
目の色は、絵の通り、左が青、右が緑のオッド・アイ。

ララは、俺が中1の年から、社会人になるまで、ずっと一緒にいた。

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上の絵の、日付を見ると、最後の絵は、1996年8月29日…

この年の12月、ララは、14歳で、バイストン・ウェルに帰った。

ララが息絶えた日のことを、思い出す。

俺は、深夜の勤務で、
自宅で、病床にあった彼女の、臨終に立ち会えなかった。

勤め先にいた俺に、母が電話をかけてきた。
「ガラマニさん、ご自宅からお電話です」と、
会社仲間に言われて、すぐ、

「ララが逝ったのだ」

とわかった。

ショックをこらえながら、深夜の仕事を勤め終え、
車を、自宅へと走らせた。

不思議と、運転しながらは、涙は出なかった。
実のところ、信じていなかった。
ララが死んだなんて。

去年ぐらいから、猫としては高齢であるから、
諸種の病気を患っていた、ララ。
動物の寿命を、知らないわけではない。

だけど、ララは、俺が、12歳の少女だった時から、
26歳の今日まで、いつも一緒にいたんだ。

その彼女が、いなくなる…いなく…なる…

自宅に着いた。

ララは、両親の手によって、
木製の箱に入れられ、仏壇の前に置かれていた。

動かなくなった、ララ。

でも、真っ白な、美しい毛並みのままの、ララ。

青と、緑の、両眼は、閉じていた。

眠っているようだ。

でも、もう二度と目覚めないのだ。

冷たくなった、彼女のからだに、すがって、泣いた。

ララには、なんでも話せた。

「人間」に、訴えれば、
「うるさい」「うざい」「うっとうしい」と思われるような悩みでも、ララは、丹念に、聞いてくれた。

そして、俺が、頬に流した涙を、ララは、黙って、なめてくれた。

ララは、「人間」よりも、ひとのこころを解する者だった。

「言葉のあや」や「行き違い」や「利害関係」や「欲得づくの見せかけ」を、
持たない生き物の、崇高さを、ララは教えてくれた。

ありがとう、ララ。

白い猫、ララ。

絵の中のララが、いつまでも、こうして、見つめてくれている。

ララに恥じない者に、なりたい。

05/2/20(日)