新ガラマニ日誌

ガラリアさん好き好き病のサイトぬし、ガラマニです。

69/96 CORNELIUS

69/96

69/96

ここに、一枚の、ヘンなCDがある。

安っぽいピンクいろの、ビニールに包まれたCD。

わたしの手元にあるのは、小山田圭吾こと、コーネリアスのセカンドアルバム、「ロクキュー、きゅうろく」初回限定版だ。

コーネリアスの楽曲を、カラオケで歌うことは、出来ない。カラオケ会社は、「69/96」の2曲目、「ムーン・ウォーク」を、配信はしているが、コーネリアス自身による音源でしか、コーネリアスは表現されないからだ。わたしは、小山田に、カラオケ印税を進呈することが、出来ない。

これは、プラスティックと金属が、プラグとコンセントが、こすれ合う音だ。これは、暗いスタジオにひしめく、諸種の機械が、こすれ合う音だ。スタジオの床を揺るがす、にぶい振動が、かろうじてドラムだとわかる。黒いレコードが、尖った針に、こすり付けられている。ギターの弦が、次々と弾かれる。

これは、材質同士がたてる雑音であって、肉感とか、感受性といった、人為が存在しない音だ。

わたしが言いたいのは、シンセサイザーのような、機械音楽のことではない。

「69/96」が、聴く側の脳内に、麻薬となり注入される、編成音源集だということである。多種多様な、人や現象の音を、駆使しながら、すべてが無機質であることの、特異である。

こんな音楽を、意図して作れる者が、いたのか。

その者は、どこに隠れているのだろう?どこ、どこだ?

音の渦の、彼方から、もはや記号と化した歌声が答えた。

「き み ん ち は ど こ?」 と。

小山田圭吾は、稀代の編曲家である。

彼の音源は、スタジオいっぱいにある世界のレコードと、スタジオそのものだ。

スタジオには、おおぜいのスタッフと、小山田自身が居るはずだが、「69/96」からは、人の気配はしない。女や、男や、幾多の歌声どもは、聴こえるが、それは、レコードやテープから、こすり出された、ただの音源であって、人間のそれではない。

こんな音楽を、作れる者は、小山田以外にいない。

そんなことは、小山田自身が、一番よく知っている。

このアルバムを発表した頃、コーネリアスは、悪魔の扮装で、舞台に現れた。

悪魔は、またの名を名乗らず。

このヘンなCDには、人間は入っていない。

【初出】mixi ガラマニ作レビュー 2006年07月17日 21:06 up
http://mixi.jp/view_item.pl?reviewer_id=54210&id=8081

★次回の[音楽のお話し]は、コーネリアス最新ツアーレポート。