大甲子園その5
全巻を、読み終わりました。仕事とサイト作りと、その他の私事の合間あいまに、
ゆっくりじっくり、読み返す、名作マンガな、よなべ。なんと有意義な。
「熱血」で「ド根性」で「汗だくになって努力して」そして勝ち、そして負ける。
全編を通して、「闘う男!それも命がけで!
当たり前だ、勝負は命がけ、それが当たり前だろ!」
な、人生観が描かれてることを、しみじみly受け止めました。
ドカベン山田太郎をはじめ、小さな巨人里中、天才殿馬、自画自賛岩鬼ら明訓ナインも、
一見クールエンドビーテーな影丸、薄幸不知火、犬飼三兄弟ら、ライバルキャラも、
とにかく「常に練習あるのみ」「男と男の勝負に全生命かける」な人物像として描かれています。
一生懸命生きることの大切さを、訴えている作品なのだなーって、それを一番強く感じました。
やーまだも、犬飼知三郎も、いわゆる「天才」なのですが、
彼らは、「努力する天才」であり、努力しないと天才ではないのであり、
天才とは、努力する才能なのだと、思わせられる、それがこのマンガです。
んで、今日、俺は車で外出し、カーステで、フリッパーズ・ギターの曲を聴いておりました。
フリッパーズ・ギターとは、小山田圭吾さんと小沢健二さんが、2人組みのバンドだった頃の名称です。
俺は、努力全面打ち出しな、ドカベン世界観も好きですが、
汗ひとつかいてなさそう・ぜんぜん頑張ってません・やる気ゼロパーセントですな、
パーフリの音楽も、大好きなのですよ。
マンガ「大甲子園」の、やーまだ太郎さんも、
音楽「パーフリ」の、おやまーだ圭吾さん・オザケンさんも、天才なのですが、両者は、
「一生懸命さ」を、見る者に感じさせるか、させないかが、違っているなーと。
どちらもエライと思うのです。
どんな天才だって、練習しなければ、ホームランは打てないんだぞと、教えてくれる、やーまださんも、エライ。
才能とか努力とか、考えたこともない、どんな見られ方しようがどーでもいい、バンド活動になんてリキ入ってませんなフリをしてるのか天然なのかさっぱりわからん、おやまーださん・オザケンさんも、エライ。
もちろん、パーフリは、努力の跡を見せない(意図してか無意識かは別にして)だけなのですが、
対照的な、この2つの作品を鑑賞した俺は、自分の作品は、どちらのタイプかなと考えたのです。
<ガラマニ>というハンドルネームは、まー、前者ですわな。
一生懸命とか、努力とか、そーゆーことを、あちこちで、しょっちゅう書いてます。
んで、よその、サイトぬしさんのタイプを、閲覧していると、
後者、パーフリ<的>なタイプが多いように感じます。
「わたしは一般人だし、個人サイトだし、趣味だし…」な。
んで、なにが言いたいかと、言いますと。
サイト作りが、仕事ではない「一般人」で、
企業サイトではない「個人サイト」で、
「趣味」だから、
だからって、なんで、やる気がないことをアピールしたがるのだろうと。
パーフリの「やる気のなさ」とは、聴く者が感じる印象であって、本人が「やる気ないです」と公言しているわけでもなく、汗だくで製作することをかっこ悪いと感じさせるわけでもない。努力の跡をまったく感じさせないで、心地良い音楽を作っていることが、俺は天才だと思うのです。
そして、パーフリのような姿勢のサイトぬしさんも多くおられます。本当は、苦しいことも辛いこともあるだろうに、お気楽極楽な作風を構築されているサイトぬしさんも、また、エライと思います。
一方、やたらと「だってーぇ、サイトなんてーぇ、趣味でやってるだけでぇー。」と…
あーまどろっこしい。なに、歯にもの詰まったよぉな書き方してんだ俺らしくもねぇ。
ハッキリ言うぞ。
やる気でやってませんと、批判に備えて<言い訳>しているサイトぬしさんは、嫌いです。
趣味だからこそ全力投球するんじゃないのか。趣味って、大好きだから趣味って言うんじゃないのか。大好きなことに、全力投球しねーで、なにに全力投球するんでぇべらぼーめい。最後は徳川監督口調で締めッ!