新ガラマニ日誌

ガラリアさん好き好き病のサイトぬし、ガラマニです。

文を読むこと書くこと

「文を読むこと書くこと」

全世界のすべての本も新聞もウェブサイトも、文章ってものはね。
あなたに手放しの快感を与えてくれるわけじゃないんだよ。
だけどね、文章は、知らない間に、
あなたを、あなた自身の内面に立ち帰らせてくれるんだよ。

あなた自身の内面に、あなたの「ほしいな」って思うぜんぶがあるんだ。
お日さまも、お星さまも、お月さまもさ。
あなたに降り注いだって感じる光りはね、
あなた自身の内面にね、もう持っていた光りなんだよ。

あなたが、ずぅっと長い間、
何万冊の本やサイトの中にあるんだと思って、読んできた知恵ってさ、
今はさ、ご覧よ。どのページも、あなたの目に射し込む光りとなって、見えるだろ。
あのね。それはもうぜんぶ、あなたの叡智となっているからなんだよ。

ヘルマン・ヘッセ作→高橋健二訳→ガラマニ訳)

「曲がるさ。でも怖くない!」

でっかい川とね、でっかいにんげんはね。どっしり構えて、ぐねぐね曲がった道程をいくのさ。
ぐねぐね、曲がりかどに来ちゃうとさ、「これでいいのかな」って思うよな。
でもさ。そんなふうに、いっときは気が迷ってもさ。
自分のでっかい目標は、絶対、間違えたりなんかしないのさ。
これがさ、肝心かなめ。でっかい川と、でっかいにんげんの、揺ぎ無いかなめ。
ぐねぐね曲がった道程なんてさ、でっかいあいつらは、怖がったりなんかしないんだぜ。

フリードリヒ・ニーチェ作→山口四郎訳→ガラマニ訳)

mixi日記に書いて、気に入ったので修正し転載。翻訳文をさらに翻案する手口は、ガラマニ日誌30「人と道と携帯電話」でやって、「おもしれーなー」と味をしめた。
以上、『ドイツ詩集』相良守峯編(角川文庫・昭和27年初版)より、無断翻案。