新ガラマニ日誌

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Xの悲劇 エラリー・クイーン著 田村隆一訳

Xの悲劇

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お断りするのが遅くなったが、俺が書いている「読書のお話し」は、「これから読む人向け」を意識して書いている。この本、まだ読んだことないなら、ぜひ読んでみて!おもしろいよ!という気持ちからである。

以前に書いていた、映画の感想文は、そこんとこはあまり意識してなかった。断りもなく、ネタバレを書いていたことがあった。今は反省している

さて、推理小説のおすすめ文を書こうとして、世界でいちばん、やったらあかんことは、なにか。言うまでもなく、ネタバレである。

本格推理小説という、文学の一ジャンルにとって、その目的は、読者が、主人公の探偵といっしょに、頭を使って、謎解きをすることにある。不可解な事件がおこり、真犯人が、誰なのか、わからない。動機も、わからない。殺人事件だったとして、その殺害方法も、よくわからない。犯人が、どこへどうやって逃げたのかも、わからない。

こうした謎を、解明してゆくことに、推理小説の醍醐味、存在意義があるのだ。だから、これから『Xの悲劇』を、読もうとしている人に、ネタバレを先に教えてしまうことは、国際法で厳重に取り締まられている重罪であり、これを犯した場合は、拘禁され、捕縛され、名古屋港観光船から海に投げられ、死体は名港トリトンの橋げたの底に沈められる法律になっている。なんで俺がこんなに、推理小説のネタバレについて怒っているのかというと(怒っているんです)、ディクスン・カーの『火刑法廷』がおもしろいと、おすすめしてある良ネット記事を読んだので、さっそく、電子書籍でさがそうとして、ふいと、『火刑法廷』が、カーの作品履歴において、年代順だといつごろの作品なのかを知りたくなり、まさか、あんなところでネタバレなんかしてないだろうと、タカをくくって、ウィキペディアで調べようとしたところ、

『火刑法廷』において真犯人はピーであるが、

って、書いてあったのだ!!!うわあああああああああああああああああ死ねあのウィキペディアのネタバレ書いたやつ死ねえええええええ

…と、いう事件が、最近あったばかりなので、俺と同じ苦しみは、誰にも味あわせたくないのだ。

と言いつつ、いま書きながら反省したのだが、シャーロック・ホームズシリーズの記事で、「最後の事件」で、ライヘンバッハの滝にモリアーティといっしょに落ちて死んだと思われていたホームズが、死んでいたフリをしていて、ちゃんと生還し、ワトソンのもとにもどることを、何度も何度も書いてしまったのは、あれはネタバレではなかったか?

うーん、俺としては、シャーロック・ホームズのライヘンバッハの滝は、あまりにも有名であり、古典であり、滝前後のエピソードは、例えるなら、『源氏物語』で、光源氏が壮年になり、事実上の正妻、紫の上や、他のモトカノたちと、仲むつまじく生活しはじめたとたん、やっぱり初恋の藤壺が忘れられなくて、藤壺の親戚にあたる姫だから、彼女に似ているかもしんないという、とろくさい動機で、女三宮をめとり、紫の上は出家したいと言い出すまで、嘆き悲しむエピソードと同じくらい有名で古典だから、ネタバレしてもいいと思った。

…ええっと…もしも、ご批判とかあったら、お申し付けください!とにかく、今からは、絶対ネタバレだけはしないように、気をつけて書きます!

「Xの悲劇」はクイーン最高傑作

悲劇シリーズは、全四部作である。『Xの悲劇』にはじまり、あと三冊、続くが、基本的に一冊で一事件、完結である。今から読む人は、順番に、X、Y、Z、最後の悲劇というふうに読みすすめることを、全力でおすすめする。XからYへ、Zから最後の悲劇へと、伏線がはりめぐらされ、すべてが、ラストで終息するさまが、まっこと見事だからだ。

全四部作を読み終えて、俺は、「クイーンを読まずに墓に入るな」と先達に言われた意味が、よくわかった。毒針でチクチク刺されるように、よくわかった。これを読まないですごす人生が、いかにつまらないか。これ読んだあとの、茫然自失。なにこの名作…クイーンって天才なのね…俺、いままで、こんなすごい本を読まずに、世の中のなにを知った気でいたんやろ…

とくに、四部作最初の、『Xの悲劇』が、最高傑作である。俺は、エラリー・クイーンの作品が列挙されている電子書籍のもくじの中から、田村隆一たん訳を選んだ。かつて角川文庫版だった電子書籍バージョンとのことで、表紙絵も気に入った。

ドルリー・レーンは美しい老年紳士

悲劇四部作で、探偵役をつとめるのは、ドルリー・レーンさんだ。彼は、シェイクスピア舞台俳優だったが、耳が聞こえなくなったため引退した、みめうるわしい老年紳士である。俺は、同じ作者の、国名シリーズの主人公、青年探偵エラリー・クイーンのことは、キザなのできらいだがハッハッハ、小説としては好きだよハッハッハ、くらべると、だんぜん、ドルリー・レーンさんのほうが、好きだ。人物として、好きだ。

ドルリー・レーンは、他人様に対して、いつも思いやり深い。物腰やわらかで、礼儀正しい。誰よりも明晰な頭脳と、誰よりも深い教養をもっているのに、けして衒学的ではない。(青年探偵エラリー・クイーンは、その点、いばり散らすし、知識をひけらかす悪癖がある。)

60代になろうという年齢にはついぞ見えず、きちんとした服装を着こなした、40代の紳士に見えるという。なんて素敵なの。

と、このような、ドルリー・レーンさんの容貌を想像していたら、俺の脳内では、パトリック・スチュワートで再生された。声は麦人さんである。

多種多彩な登場人物

『Xの悲劇』には、ドルリー・レーンさんに事件への協力を依頼する、ニューヨーク市警のサム警部と、ブルーノ検事という、いかにも現場のおまわりさんといったタイプのキャラクターも登場し、二人は、悲劇四部作のレギュラーキャラクターとなる。

事件の関係人物たちも、まるで目の前にいるひとのように描写されている。

完璧な構成

1932年当時の、ニューヨークの風俗も、細かく書かれており、勉強になる。なにしろ、この小説は、仕事が丁寧だ。非常に繊細に、非常に慎重に、構成されている。

『Xの悲劇』を読み進めているあいだ、俺は、時間がたつのを忘れた。読み終えて、

この本が、世界一の推理小説だろう。まちがいない。

本格推理小説を、いくらも読んだことないくせに、そう思っても仏罰はあたらないと思った。