新ガラマニ日誌

ガラリアさん好き好き病のサイトぬし、ガラマニです。

福井旅行記【番外編】福井、あなどれねぇえええええええー!

6月某日。ガラマニ、福井を去るの日。

一日目、東尋坊で恐怖体験。

二日目、永平寺で暴風雨。

以上で、俺の福井での目的は、はたしたことだし、暴風雨だしで、俺は、ホテルで読書をすることにした。そいで、なんぞ読む本を買おうと、福井駅前商店街に出かけた。コンビニ透明傘持って。

この写真は、まだ晴れていた一日目に撮影した、すごく…福井です… なワンショットだが、手前の横断歩道を、手前に渡ったところに、

すごいお店を発見してしまったのだ!

古本屋さんである!

俺の、旅行における教訓。「旅先で、出会った本は、迷わず買うべし。それは、二度とは出会えない本だ。ましてや古本おや。」

そこで見つけたのが、この本である!!

『中学生の本棚 19 にんじん ルナール <調佳智雄訳>
マテオ・ファルコネ=メリメ <江口清訳>
ジュールおじ=モーパッサン <村上菊一郎訳>
最後の一葉=O・ヘンリー <前川祐一訳>』昭和45年初版 学研

福井、あなどれねぇえええええええー!

ここんとこ数か月、俺は、有名だけれど、ちゃんと読んでなかった世界の名著が、まだまだたくさんあることに、いまごろになって「恥ずかしい」と思い、かたはしから西洋文学を読みあさっていた。その中で出会い、「こんなすごい作家がいたのか!古典ちゅうものは、やっぱ、ちゃんと読んどかなあかん!人生、損しすぎる!」と再発見したのが、モーパッサンである。

フランスが生んだ異端児、威風堂々と反戦を叫ぶ好漢、自殺未遂の後、43歳で死んだ、ギィ・ド・モーパッサン。フランス国内においてよりも、どっちかっつーと、国外で人気が高く、特に、日本の作家、ローリー(芥川龍之介の愛称、俺が命名)や、サムソン(太宰治の愛称、俺が命名)に、絶大な影響を与えた、モーくん(俺が命名)。

SONY電子書籍を買ってからも、モーくんの著作ばっかダウンロードして、モーくんばっか読んでいた、そんな最中の、福井旅行にあって。

まさか、こんな、お宝本を、よりによって福井で!ゲットできるとは!

福井、あなどれねぇえええええええー!

(かさねがさね、福井のかた、すみません。筆者予想外だった、という意味です。)

昭和45年の中学生ってすげーな。O・ヘンリーの「最後の一葉」はともかく、メリメとモーパッサンの、この二編と、表題作の「にんじん」は、モーくんの享年と同い年の俺が読んでも、ドン引きするぐらい、すさまじい内容だ。読後感、激暗。

だって、モーパッサンに、挿絵つき!初めて見たわ!

「ジュールおじ」は、モーくんお得意の短編で、激しすぎる社会風刺、厳しすぎる守銭奴批判、悲しすぎる現実の活写を、つらぬき通している。現代的な教育的目線であえて見て、かろうじて中学生向きといえるのは、主人公が、少年だという一点のみである。ほかは、いまどきのザマス族が読んだら、発狂すんじゃねーかと、俺が心配になるほど、「大人をばかにしている」。また、メリメの「マテオ・ファルコネ」は、父親が息子を殺害する内容で、その理由は、俺に言わせればひとこと、「ヤクザの家だから、仁義を重んじるから」である。

注:「ザマス族」とは。ノンアルコールビールや、ノンアルコールチューハイといった、法的にも、飲み物内容的にも、ただの炭酸飲料を、中高生が飲むことすら、「教育に悪いザマス!」と禁止しようとする、キチガイ圧力団体の愛称。愛称というより、蔑称かな。俺が命名。彼らにいわせると、ノンアルコール飲料を未成年に飲ませると、成人してから、ホンモノのお酒を飲むようになるおそれがあるから禁止なのだそうだ。「成人」の意味がわかっていないらしい。

その他には、マンガや、テレビ番組や、インターネットでの、性的・暴力的表現を、過剰に自分たちが意識しすぎており、「教育に悪いザマス!」と禁止しようとする性質がある。

ザマス族について、不思議に思うのは、彼らが、戦後からこっち、間断なく活動し続けており、21世紀においても、絶滅しないどころか、いつの時代にも、一定数のザマス族がおり、活動し続けていることだ。

現代のザマス族は、たぶん俺より年下になっているにもかかわらず、キューティーハニールパン三世を、俺と同じ幼少期に見て、育ったにもかかわらず、自分たちが気にくわない、性的・暴力的なマンガやアニメは、子供には禁止ザマスと叫ぶ。

ゾーニングすればエエとは、俺は単純に決めつけられないと思うのは、例えばこの記事に挙げた、メリメとモーパッサンの著作などは、昭和45年には、学研が、中学生向きに推奨しているが、21世紀のザマス族の、お気にめさなければ、ゾーニングの対象物に、「成り下がって」しまう可能性があるからだ。俺は小一で、寺山修司永井豪の本を読んでいたが、叱りつけて、俺からその本をとりあげるような親に育てられなくて、本当によかったと思う。

さて、その上、この本の素晴らしさ。モーパッサンに、読書指導つきときたもんだ!

以下、引用。

<<読書指導>> ジュールおじ 矢田剋士

[両親にみられる人間性]
・生活を理由に、父親に当たり散らす母親。

まさに、ザマス族の特徴である。矢田先生の、容赦ない読書指導はさらにつづく。

・無気力な父親。
・せいいっぱい着飾った気の毒な日曜日の両親の散歩。
・金をもうけたということで、つまはじきしていたジュールおじをもてはやそうとする両親。
・ジュールおじの金をめあてに計画を立てる両親のあさましさ。
・ジュールおじがかき割りの老人であることを知った両親の驚き。当惑する父親。自分たちの安全や利害だけを考えて子どもたちにさしずをする母親。

どう見ても、発言小町向きの内容です。本当にありがとうございました。

巻末には、すてきな、モーパッサン・アルバムなんて、ついている!

雨の、しとどにたたきつける、ホテルの窓辺。俺は、早めのお風呂にはいり、ノンアルコールビールを飲みながら、メリメを、モーパッサンを、そして表題作、ルナールの「にんじん」を、読みふけった。

ホテルの窓から、見えた風景。すごく、福井です。

最後に。

世界に名だたる名著、ルナールの「にんじん」は、母親が息子を、虐待する内容である。「にんじん」は、おそらく作者、ルナール自身の、幼少期の、辛い思い出である。

「にんじん」の母親は、どうして、息子の、精神性を破壊するのだろう。母親は、自分が、欲求不満なのだ。夫が、自分を、顧みないから、代わりに、息子をいじめて、発散しているのだ。

息子が、親よりも優れた文学性を持っていることに、気がつかず、気がつくと、いじめ、いじめ、いじめぬく。母親には、没頭できるような趣味がなく、趣味の持ち方も知らず、楽しそうなものに夢中になっている「にんじん」が許せず、いじめ、いじめ、いじめぬく。

そして母親が、なによりも恐れるのは、息子が、「成人」することなのだ。

ザマス族のように。