新ガラマニ日誌

ガラリアさん好き好き病のサイトぬし、ガラマニです。

ひかりTVビデオざんまいプランで11月に見た映画一覧(16本)

11月は、16本と、比較的少ない視聴本数になった。いくらなんでも俺、映画ばっか、見すぎてたんで、今月は、余暇をすごすにしても、ほかの事したろまいと思ったからだ。

視聴本数が減ったのには、もういっこ、理由がある。働き盛りの俺の余暇には、限度がある。ひかりTVが、定額で見放題だからといって、なんでもかんでも、たくさん見ればエエとゆうもんではない。10月度までは、俺貴余映画(おれきよえいが。俺の貴重な余暇を返せ映画の略。)を、何本も見てしまい、俺貴余感でガックリしたものだった。

そこで俺は、ひかりTVによる映画紹介文や配役などを読み、見る前から、ハズレ臭がプンプンしたものは、

見ない

という、悟りをひらいたのだ。なんて賢いのだろう!人間、何歳になっても成長するものである。カシコクなった俺が、この記事で紹介する映画には、ハズレは一本もナシ!ぜんぶオヌヌメ

今回は、ツイッターからの転載・編集ではなく、全文、書き下ろしです。長いですぜ。

(1)次郎長富士(1959)

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清水の次郎長親分は長谷川一夫で、吉良の仁吉は市川雷蔵先月見た忠臣蔵」でおなじみの、大映オールスターズ時代劇である。今作の、おとな主人公は次郎長親分。そして、ヤング主人公は、森の石松。演ずるは、若い、わっかい、若すぎて言われなきゃ誰だかわからなかった、勝新太郎だ。

忠臣蔵」にしても、「次郎長」にしても、史実に基づく、時間軸の長いお話しだ。これを2時間の枠におさめるには、数ある有名なエピソードを割愛し、視聴者視点で興味をひくように、主人公を誰かに決めて、人間くさく描く必要がある。

今作では、おとな主人公の次郎長親分は、完全におとな。親分がいて下さるだけで、厄介な問題も、なんとかなる存在。ただ、長谷川一夫は、根が上品なので、やくざな口上をしても、なんかどっか、似合わないんだよなあ。大石内蔵助役はピッタリだったが、次郎長親分に彼は、身奇麗すぎだよ。

どっこい、ヤング主人公の、遠州森の石松勝新太郎は、元気があって、たいへんよろしいッ!ドジばっか、バカばっかやって、みんなをハラハラドキドキさせやがって、大笑いさせやがって、こんちくしょう!なんてみずみずしいんだ。

「江戸ッ子だってね、寿司食いねえ。」

「神田の生まれよ。」

「寿司食いねえ、酒のみねえ。」

石松が、全編をグイグイひっぱってゆき、彼の豪快な魅力を、見てるほうも豪快に受け止められる。軽快にして痛快な展開なのだ。

大映オールスターズ映画なので、スター俳優を、全員まんべんなく登場させなければならない制約があっただろうに、この脚本家は、石松を主人公にすえることで、脇役全員をも輝かせた。

旅籠の女中のチョイ役で出た、中村玉緒たんを、石松がからかうシーンに、「のちの夫婦である。」とコメントしたい。おふたりは、大映で出会い、1962年にご結婚された。

(2)座頭市物語(1962)

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勝新つながり。数ある座頭市映画の、いっとう最初の映画。俺、勝新座頭市って見たことなくって、これ見て、うわああああって、ビックリしたよ。なにがって、あまりにも実験的で、斬新な映画だったから。

盲目の侠客ってゆう設定が、発表当時に、斬新だと評価されたとは聞いたが、それよりも、カメラワークと音響だよ、斬新なのは。
白黒映画の利点をあますところなく生かした、薄暗い情景描写。余計なものは、いっこも置かれていないセット。夜の闇と心の闇。時代劇という枠組みで、映画世界で誰もやってなかったものを、創り出した、これは傑作だ。

座頭市は、後年のシリーズ化と、撮影中の事故、別の映画人によるオマージュなどのほうが、印象に深く、この初代映画自体は、俺は知らずにいた。映画とは、一本一本が監督や役者さんたちの作品なのだから、それそのものをきちんと見て、自分の心眼で評価しなければならない。座頭市第一作の作り手の「すごいものを撮ってやろう!」という気迫を、俺はこの日、初めて感じることができた。…ラッキーだぜ…

意外と守銭奴な市さんは、冒頭、賭場のおにいさんがたから、カネを巻き上げます。壷ふりをやって、サイコロ落として、めくらで気が付いてないフリをするのです。おにいんさんがたは、しめしめと、出た目にぜんぶはります。

市「おや、皆さん、丁ですかい。半はないんですかい?それでは、ぜんぶで、何両になりましたかい?」

兄「おれが5両で、3両と7両と、9両で、ぜんぶで24両だ。」(数値はうろ覚え)

このシーンで、算数のできない筆者は、おにいさんの、暗算の速さに、ビックリしました。「天才か!」ってアクオスの前で叫びました。そこで驚くなよ俺。外人か。

市さんは、ブヨってるけど、女にもモテるんだ。市さんは、最初からスーパーマンだったわけではなく、めくらで、差別されて、努力して、だんだん腕を磨いていくんだよな。

市さんと対決する剣客は、平手造酒というホントにいた人で、演ずるは、うわあああ、天知茂!うわああ、天知茂の、手が長いよー!ダラリと下げた手首から指先までが、ものすごく、ものすごく、長いよー!

(3)続・座頭市物語(1962)

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市さんの、ホントのお兄ちゃんの役で、ホントのお兄ちゃんが登場すんのよーッ!マジっすか先輩。

こちらさんどなたですかい。あいや、失礼しやした。若山富三郎さんでやんしたか。ああ、ビックリした。続編も悲哀に満ちて、いい映画だよ。

(4)リバティーン(2004)

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世間では、美男子だと評判の、ジョニー・デップ主演。

俺は、この人は、いい意味でも悪い意味でも、個性のとぼしい役者だと思っている。たぶん彼は、自分の我を出すと、おもしろくない役者になってしまうのを知っていて、監督や周囲の指示する通りに、役作りをしているのではないかな。

最近でこそ、「あのジョニー・デップの」と冠されるようになったが(あるいは、「手がハサミになってる男の」と、年配の人には言われているが)、彼のどの映画を見ても、本人の印象が、薄い。顔の造作も、薄いので、メイクのし甲斐があるのかもしれない。

しかし俺は、そんな彼を批判しているのではなく、こういう、役に「染まる」ことのできる役者は、いい役者だと思っている。

ジョニーは色んな映画で、それぞれに異なった演じ方をしている。個性がないとも言えるが、言い換えれば、ヒットした前作の自分のイメージを、次の作品に「悪用」しないとも言えるのだ。

リバティーン」は、カリブの海賊のイメージが、世間に浸透していた時期の作品で、ジョニーはやっぱり、ジャック・スパロウとは似ても似つかない、別人28号になっている。

役名も「ジョニー」。「ジョニー!」と仲間に呼ばれる彼は、17世紀イギリスの貴族。詩人。演劇。酒。女。放蕩青年貴族が、33年の短い生涯を燃やしつくすまでを、辛辣に描いた良作。とびぬけた美男子で、とびぬけた才能で、みんなを魅了したり、顰蹙を買ったりしていた貴族ジョニーが、次第に病魔におかされ、廃人になってゆく様子が、克明な絵で見せつけられる。衣装や小道具の凝りようにも注目だ。

開始早々、ああ、この主人公ジョニーは、病気になってるな、病気で死ぬのだろうな…と、示唆される。

暴飲姦淫によって廃人になってゆく夫を、激怒して心配する奥方。「もう主人に酒を飲ませるのは許しません!」と泣き叫ぶ彼女も素晴らしい妻だが、一方、男の従者は、「これが最後の一杯です。」と言って、瀕死のジョニーに酒杯を手渡した。奥方の制止を振り切って…このシーンで俺は、心の芯が、ガンと鳴って、ふるえた。

奥方を泣かせても、本人の体に悪いとわかっていても、あの従者は、ご主人様の渇望するものを、飲まさしてあげたかったのだ!男として!男同士にしかわからない、それは友情だった。

ところで。

風の谷のナウシカ」を実写映画化するなら、クロトワ参謀の役は、ぜひ、ジョニー・デップに演じてもらいたい。どんな役にでも「染まる」彼だもの。存外、似合うと思うぞ。

(5)プリティ・ブライド(1999)

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世界のチャーミング、ジュリア・ロバーツのために作られた、愛くるしい女を礼賛するコメディ。相手役はリチャード・ギアで、「プリティ・ウーマン」の続編的な布陣。

新聞コラムニストのリチャード・ギアは、連載のネタに困りはてていました。酒場でからんできた若い男が一方的に語った、「田舎に、結婚式で逃げ出すのが趣味の、ひどい女がいる」を、聞いたまま、書きました。裏づけ取材も、なにもせずにです。

怒ったのは、大新聞に勝手に書かれた本人、ジュリア・ロバーツです。新聞上で悪女と評された彼女は、田舎町の金物屋です。実際、過去三回の結婚式逃亡犯ですが、記事はヒドイわと、金物屋女は、新聞社に抗議の手紙を出し、訴訟になるといかんと恐れた編集長(コラムニストの元妻)は、彼のクビをファイヤーしました。怒ったコラムニストは、田舎町に長期滞在し、金物屋女の密着取材をはじめます。

取材をすすめるなか、コラムニストには、数々の疑問がわき出てきます。ちゃんと好き合って結婚しようとしてたのに、なんで三回も逃亡したのか。金物屋女は、服装はやぼったいカジュアルばかりだし、たいして美人じゃないのに、目とクチが異様にでかい、へんな顔なのに、なぜモテるのか。

映画では、彼女がなぜ逃げ続けたのか、その理由が描かれましたが、あのバカでかいクチのジュリア・ロバーツが、なぜモテるのかは、明言はされませんでした。

でも、俺にはわかってる。笑顔が、チャーミングだからさっ。

(6)ハリウッド・ミューズ(1999)

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シャロン・ストーン主演。タイトルそのまんまの内容。わかりやすいタイトルっていいね!

ハリウッドの脚本家・監督で、本人が本人役をやっている、アルバート・ブルックス。新作のホンを書いて見せても、「キレがない」「キミは全盛期をすぎたんだ」と酷評され、いっこうに映画化できません。監督仲間で羽振りのいいやつに相談したら、ナイショだが、映画の女神様に頼めば、ヒット間違いないんだと耳打ちされました。彼女の名は、ハリウッド・ミューズ。

ウソぴょーんと思いながら、溺れる者は藁をもつかむの監督は、本人に会ってみました。見たら、シャロン・ストーンで、いい具合に中年女になっておりゴホッゲホッ、ええそれは美しい女性で、お土産はティファニーを所望されました。脚本のアイデアをあげてもいいけど、高級ホテルに泊めろだの、夜中にへんなサラダ持って来いだのと、ぜいたく、ワガママざんまい。

振り回されてる監督は、あの人ホテルに女囲ってると、電光石火の速度で噂され、奥さんに問い詰められます。奥さんもミューズに会い、意気投合、我が家に居候させます。そうこうしているうちに、監督の筆は意外にも進み、ナイスアイデアが次々とわいてきます。ミューズは奥さんにも、起業アイデアを提供し、奥さんはお手製のクッキーが売れて売れて、ウハウハになります。監督の新しい脚本も、映画化できそうになり、いいことばかりに思えたのですが…

この映画、序盤はちょっとダラダラしており、俺ハズしたかな?さすが、キレのない脚本だ、監督さんよ、作中で言われとることホントウやがなと思ったが、奥さんがクッキーで成功するあたりから、テンポがよくなった。

シャロン・ストーンの、わざとダサくした衣装も見ものだ。…いやっ?あのダサさは、1999年当時の「素」か?

それにしても、シャロン・ストーンは、2009年の現在よりも、1999年のこの頃のほうが、老けている。美人だが、明らかに中年体型で、化粧も無理をしている。だが2009年、ファッション雑誌に掲載されている広告のシャロンは、ディオールのキャッチコピーの通り、実年齢が若い頃よりも、今のほうが、だんぜん美しい。

10年経って、なぜ彼女は若返ったのだろう?

この問題については、美容法の進化説が言われているが、フォトショップの普及説も濃厚だと思うゲホゲホ、ゴホッ

(7)アバウト・シュミット(2002)

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「シャイニング」のジャック・ニコルソン主演。

シュミットおじさんは、今日、長年勤めた保険会社を、定年退職しました。今日からは、妻と二人だけの我が家で、老後を暮らしてゆきます。一人娘は、遠くに住み、いい仕事を持っています。こんど結婚もします。シュミットおじさんの今後は、悠々自適のはず、でしたが…

こーゆー内容の映画なのだが、老人映画だから、ゆるやかに進行する叙情劇だ、などと思ったら、大間違い。ハイテンポな、抱腹絶倒な、大コメディなのだ。俺ぁ、油断して見てたら、何回かコーヒー吹いたわい。ブブーッて。ブブーッて。

映画のそこかしこに、ジャック・ニコルソンが過去に出演した映画のパロディがちりばめられており、いかにも、彼のために作られた映画と、ウウム凝ってるぜと、うならされる。特に「シャイニング」へのオマージュ的表現が顕著だ。俺がキューブリックファンなせいで、そう感じるのかもしれんが。悪人役の多かったジャック・ニコルソンの強面が、ろうたけたコメディアンとなった今作を見たら、俳優である彼の「老後」に、期待が高まるばかりになった。

映画の中盤で、油断していた俺、キャシー・ベイツが出てきて、オォーッ!と大歓声。ムスメムコの母親役だ。「ミザリー」のコワイおばさんね、と思ってたら、さすがの「アバウト・シュミット」映画パロディは、「ミザリー」ネタもさっそく盛り込んできよったわ。ウウム、油断ならーん!

そしてこの映画は、人生にとって、大切なことを、切々と訴え続けた。人と人との絆を。シュミットおじさんが涙を流すと、俺も泣いちゃったんだ。

(8)フェーム(1980)

フェーム 特別版 [DVD]

そこな若者よ。そう、チミだ。この文を読んでいるチミだ。あのな。有名な映画ってものはな、見ておかないとダメやぞ。俺は10代、20代の時期に、たびたび言われたんだ。「フェームは見ておけ。」「なんの世界を目指すにしても、フェームは見なくちゃだめだぞ。」と。

そして、「フェーム」を俺は、きちんと見る機会なく、こんにちにいたってしまった。きょう、見て、泣いた。もっと早く見るべきだったとも、思った。でも、後悔はない。「フェーム」主題歌の日本語版を、ピンクレディーが歌った曲は、聴いていた。その歌詞がこうだ。

 フェーム やるだけやった やるだけやった

 すがすがしいほど 後悔はない

 フェーム 若さをかけて ひたすら生きた

 フェーム この情熱を 忘れはしない

この主題歌は、本編にも出演している、黒人女性歌手、アイリーン・キャラが歌い、世界的ヒットとなった。

物語は、音楽・演劇高等学校の生徒たちの群像を描いたもの。入学試験から、卒業するまでの4年間を、主として5人の生徒を追ってゆく。淡々と、切々と、追ってゆく…

ステージママによって入学させられた、白人の女生徒は、内気で、自分を表現するすべを持たなかった。彼女は、授業にうちこむうちに、自我と芸術に目覚めてゆく。

貧民街に住むプエルトリコ系の男子生徒は、貧しさを憎み、芸能人になって、花を咲かせたいと願うが、挫折にうちひしがれる。

黒人の女生徒、アイリーン・キャラは、だまされて、ポルノビデオの餌食になってしまうが、乗り越えて、強く生きる。

シンセサイザー電子音楽器。当時は邪道とされた)を、次代の音楽と見込む少年は、クラシックの先生にやめろと言われても、信念を曲げない。曲げないが、先生がおっしゃっている芸術の本意も、ちゃんと学べるようになって卒業する。

そして、入学試験に、黒人少女のダンスのパートナーとしてやって来た、黒人少年は、少女より才能があると見抜かれた学校に、入学を許される。少女のほうは失格である。

このシーンは映画の冒頭であり、この学校の、芸術に対する厳しい姿勢が、強く打ち出されている。芸術学校とは、こういうところなのだ。

だが彼は、ダンスは上手いが、反抗的で、特に英語の授業(あちらでは「国語」)で、宿題はやってこないわ、朗読は拒否するわで、白人女教師は手を焼いていた。

俺は、この少年が反抗するのは、そうしてだろう?英語の先生とソリが合わないのかな?と思っていたが、彼の秘密がわかったとき…

英語の授業を飛び出した少年は、ストリートの裏路地、ゴミ捨て場へと歩いてきて、しゃがみこみ、新聞紙の切れ端を、手にとった。

「し…、し、しん、あ、新。新…?ぜん、全…?せ、せんたっ。せんたっ…」

真っ黒な地面に顔面をふせ、ウウウ〜と声をあげ、泣き出す少年。

彼は、文盲だったのだ!英語が読めなかったのだ!「新発売、全自動洗濯機」と書かれているものを、読めないのだ!そもそも、高等学校に入ること自体、無理な学力だったのを、必死で隠していたのだ。

 ダンスを踊りたいがために!!

俺は、ビデオを一時停止して、号泣した。鼻水を流し、うわあーと叫んだ。どうして、どうして、どうして、あの子は文盲にならなければならなかったんだ。あんなに苦しんで、かわいそうに!あんなに才能があるのに。あんなに踊りたいと願っているのに。どうか、ニューヨークのあの子に、すべての子供たちに、教育を!子供が、学びたいと願っているのに、先へ進めないなど、あってはならない!

(9)ロリータ(1997)

ロリータ [DVD]

前回の映画記事のコメント欄で、ひかりTVの同じサービスを使っているかたに、ガラマニさんが見たがってるこれ、配信してますよと教えてもらったんだあ。うおお、なんてありがたい!見る前から大興奮さ。

そして見始め、10秒で、「いい…死ぬほどいい…なんという幸運、なんという良作…」。ひかりTVの映画見放題プランは、月額2625円だが、俺は「ロリータ」一本の視聴料が、2625円でも、ぜんぜん高くないと思う。

製作されたアメリカでは、未成年少女と中年男との、性愛描写があるとして、公開が中止され、一年経って、少ない映画館でのみ、上映されたとゆう。

そりゃ、性愛描写はあるに決まっている。ナボコフの小説「ロリータ」を、キューブリック版よりも原作に忠実に描いているもの。(キューブリックは性愛表現に、臆したわけではまったくなく、1962年の映倫にはじかれたからだ。)

とにかく、撮影が美しい。アメリカの天然自然の風景を、緻密に、丁寧に撮っている。草花の、朝露にぬれたかがやき。庭のスプリンクラーにぬれる、少女の豊かな姿態。肉感。存在の大きさ。草花。彼女。我が人生に、咲きほこる、花。

中年男が車をひた走らせる、砂漠の、枯渇したさま。中年男が求めるものは、砂漠の蜃気楼。助手席には、亜麻色の髪の少女。彼女の心は、ここにはいない。気がつかない。枯渇。飢え。砂漠にかげろいたつ、ロ、リ、ィ、タ。

ロリータこと、ドロレスたんを演じた女の子は、キューブリック版よりか、やはり原作に近く、小生意気で、下品だ。中年男ハンバートは、欧州のインテリ階級であり、アメリカの地方の下層階級の母親と、その娘は、身分的にもハンバートとは、釣り合わないのだが、幻想を追う男には、そんなことはどうでもいい。見ていない。ロリータをしか。

原作のテーマについては、キューブリック版でも書いたので、その原作に忠実な今作について、心情的な感想を書くのは、これぐらいにしておこう。とまれ、俺はロリータ・コンプレックスをあらわした、ナボコフの本が、好きなのだ。だからこの映画も、好きなのだ。

特に、アメリカむすめドロレスの下品さを「きれいに」撮った、今作の功績は大きい。この子はな、特別に下品なのだよ。

映画の序盤では、俺がアメリカ映画に必ず突っ込む大ポイント、冷蔵庫開けっ放しを見事にやってのけ、俺は彼女の母親になったように、アクオスの前で、キーキーわめいた。

ドロレスは、夜中に、のどがかわいた〜と言いながら、電気のついてない台所に行き、冷蔵庫を開け、開けっ放しにし(俺:閉めなさい!開けたら、閉めなさいッ!)、バケツアイスクリームを取り出し、なめくさり、続けてイチゴをいっこずつ取り出し(俺:ドアを閉めなさーい!)、指にイチゴをいっこずつ、ぶっさし、いっこ食べては、アイスをなめ、食べては、なめ。なんで開けっ放しにしてるかとゆうと、このガキは、冷蔵庫の明かりで、雑誌読みよるんです!

(10)インサイダー(1999)

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タバコ会社の重役(ラッセル・クロウ)が、我が社のタバコは人体にワルイ物質を混合しているとゆー証拠を知ってしまいます。その内部情報をつかんだ、テレビ局の名物報道番組のプロデューサー(アル・パチーノ)は、アメリカ国民に事実を伝えようと、彼を説得します。番組で放送するから、インタビューに応じてくれと。重役は、解雇されてしまい、学校の科学の先生になり、家族を養おうとします。元重役が、テレビ局と接触していると知った会社側は、彼と家族を、あの手この手で脅迫してきます。それはそれは恐ろしい、弾圧のはじまりです。

このお話しで最も重要な点は、二人の主人公、重役とプロデューサーは、非常にまじめな性格で、社会正義に反する事は許せず、人間を愛しており、信じており、どんなに弾圧されても、じぶんが理だと、真だと思ったことは、けっして曲げない精神の持ち主であることです。これがこの映画のテーマであります。

正義をかけて、危険に立ち向かう彼らが、告発しようとしているものが、たかがタバコの害である点も、正義とはなにか?を考える意味に、深みを持たせます。この映画が訴えているテーマは、タバコはいけません、などではない。弾圧、脅迫、くだらない面子なんかに負けないで、一個人が、一人間として、信念を貫くことの尊さです。

神経質な役どころのラッセル・クロウは、実にオットコマエ。俺は初見で「オッ、この人タイプ!」って惚れた。敏腕プロデューサー役のアル・パチーノは、ほんまエエ具合に老けて、いい俳優になったなあと思った。

(11)陰謀のセオリー(1997)

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この映画は、社会派まじめ映画だと思って見ちゃうと、途中から「おや?おやおやおや?」になる。ちょっちSF入ってる、いい意味で荒唐無稽な娯楽作品なので、メル・ギブソンジュリア・ロバーツの、土臭い人間味を楽しむのがヨロシ。

タクシー運転手のメル・ギブソンは、お客様にむかって「俺は政府の陰謀を知ってるんだぜベイベー!」としゃべりまくるへんな人。しかも奴は、お役所に勤める、クチがでかすぎて顔が財布みたいな女、ジュリア・ロバーツにストーキングもしてて、わけわかんない行動ばっかします。

彼の正体とはなにかッ?陰謀とはなんなのかッ?!答えは作中で明かされますが、論理的整合性はあまりないので、そこは期待せず、おめーらおもしれーなー目線で見ると、いい映画です。変人運転手の部屋は、小道具が細かくて、オタクインテリア。顔が財布女の部屋は、反対に、シンプルインテリア。こういう、アメリカ人の生活描写も、いい味出してんよ。

(12)野獣死すべし(1980)

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俺が「野獣死すべし」を見た日は、大河ドラマ天地人」の最終回の直後だった。「天地人」で伊達政宗を演じた松田龍平さんの、ムス、と、くちびるを結んだ豆大福みたいな顔と、のどにモチでもつまらかしてんのかと心配になる、くぐもった発声とを眺めて、ああ、そういやあ、俺は松田優作パパの映画って、あんまり見たことないなあ…代表作、ひかりTVで配信してないかしら。してる。見よう。おお、クローン親子発見。とゆー、流れだ。

松田龍平さんは、パパの演技を、意識しすぎじゃないかしら。そっくりそのままやないか。いいや、普通にやってて似ちゃうんだろうな。だってクローンだものな。つーぐらい、似てる。

さて映画は、和製ハードボイルド映画を食わず嫌いだった俺の顔面に、平手打ちをパスンパスン食らわせる、傑作だった。芸術的なんだ。すべての映画が「芸術」なのは当たり前なので、俺はものを評するさいに「芸術的」と書くことを避けているが、この映画の撮影技法は、前衛的であり、挑戦的であり、独創的であるという意味において、まことに「芸術的」なものだったのだ。

特に主人公、松田優作の独白する場面は、ことごとく、心臓をざわざわさせられた。

戦場で殺人行為を目撃しすぎたカメラマンが、殺人願望にとりつかれ、日本で強盗殺人犯になりましたという筋立て自体は、まごころにせまるもののない、凡庸のきわみである。しかし、このつまらない男の、つまらない望みを、かくも真剣に描いたこの映画は、松田優作の名に神聖性を与えて、当然である。

(13)ペイ・フォワード(2000)

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俺の月間映画感想文、今月号はぜんぶお勧め映画だが、イチオシはこれ!

登場人物は、12歳ぐらいに見える少年と、お母さんと、社会の先生の三人。三者三様の心理をたくみに描き出し、奇跡を起こした少年の「普通の少年らしさ」を際立たせることにより、この映画は名作となった。

少年は、学校の社会の授業で、「自分ができることから、世界を変革する」という課題に取り組む。難題だ。

少年が考え出した答えは、親切を行うこと。

親切にしてくれたひとに恩返しするのではなくて、親切される前に、誰にでも、親切にすること。思うだけではなく、必ず実行すること。具体的には、三人のひとに、困っていたら手を貸してあげること。親切を受けた三人は、また三人に親切をする。また三人が…これを広めてゆき、世界じゅうを善意で満たし、困窮を無くそうというものだ。

原題は「ペイ・イット・フォワード」=「事前に喜捨せよ」訳by俺。

と、書くと、なんか当たり前のように思うし、映画のテーマとして特異性がないように感じる。言うは易し、行うは難しなのはわかるが、なんでこの映画は、このように「凡庸な」テーマを擁しながら、「非凡な」できばえとなったのだろうか。

母子家庭をささえるため、職場をかけもちし、必死に働いているお母さん。過労で帰宅し、メイクしたまま眠りこけてしまう。染めているのであろう金髪と、貧しくとも、おしゃれを欠かさない服装は、彼女のあどけなさを表現している。学はなく、カーッとなったりもするが、心根のかわいらしい女だ。

社会の先生は、顔がやけどで、ただれている。堅物で、かたくなで、シャツのアイロンは自分でかけている、独身男だ。傷のせいで心にふたをしており、他人に愛情を示すことに臆病だ。だが、彼の授業風景を見れば、真実の愛情に深いことは、一目瞭然だ。
ふたりの男女は出会い、恋に落ちた。少年は、そうなってほしかった。先生、僕のお母さんといっしょに寝たんだね、と言葉に出してはしゃぐ少年。照れまくる先生。

幸せだった。幸せになれると思った。

お母さんも、先生も、少年も、必死に生きている。愛する人を大事にしたいと、願っている。うまくいかないこともある。うまくいかなかったと、殻に閉じこもってしまうこともある。

彼らは、それぞれに傷を負ってはいるが、世界のどこにでもいる、普通の人間である。いじめの横行する学校に、通う少年も。労働に耐えながら、子供に笑いかけるお母さんも。顔の傷をさらけ出し、内心をひた隠して、学術を次世代に伝えている先生も。
そして「事前に喜捨せよ」という命題も、有史以来、世界じゅうの大宗教が訴えてきた普遍的な命題であり、特殊では、ない。難題ではあるが、特殊では、ないのだ。世界じゅうの多くの人間が、目指したいと思っている、普通のことなのだ。

幸せになりたい。でも、できない。でも、するんだ。幸せを、このひとに渡すんだ。

これこそが、この映画のテーマである。もっともありふれているが、もっとも難しい行為、「事前に喜捨せよ」を描く、この映画をどう作るか。それこそ難題であっただろう。

普通に…愛すべきひとを、愛したいと願う、人間にとって「普通」の思いを、遂げることの困難さ。やり遂げようとする尊さ。

「事前に喜捨せよ」はこの映画自身であり、主人公の少年自身であり、お母さんも先生も、「事前に喜捨せよ」を行っていたのだ。

映画のラストは、非常にショックだ。この映画を見た者は、ショックでふせたまぶたを、再び開いた時に、「事前に喜捨せよ」の意思を継ごうと決意するだろう。

(14)ヴェロニカ・ゲリン(2003)

ヴェロニカ・ゲリン 特別版 [DVD]

一度その顔を見たら忘れられない女優、ケイト・ブランシェットが、実在のジャーナリストを好演。ブランシェットの爬虫類的な容姿は、ヴェロニカ本人によく似ている。素朴で、人情味がある。だけど、どこか寂しそうなんだ。

ヴェロニカ・ゲリンアイルランドのジャーナリストで、麻薬によってむしばまれる子供たちの実態に嘆き、危険な世界のふところに飛び込む取材を開始。くちききをしてくれるヤクザの知り合いはいたものの、そいつも、くちききはするが、後ろ盾になってくれるわけではない。麻薬ヤクザたちの権力は膨大であり、アイルランドでヴェロニカほど、この問題の深部に斬りこんだジャーナリズムは、かつて存在しなかった。

ヴェロニカの猛攻に、ヤクザたちが反撃しないはずがなかった。夫と子供と暮らす自宅にいるところを襲われ、九死に一生を得るヴェロニカ。強がって見せているが、本心では怖い。当然だ。

彼女の上司は、もう取材はやめろと忠告してきた。上司の言(げん)は、弾圧に屈したのではなく、彼女の身をあんじたからだった。だが、ヴェロニカは不屈の闘志で、腐敗した社会に立ち向かう。敵は、麻薬を使って私腹をこやすヤクザだけではない。それをのさばらせている国家体制だ。

映画のラストでは、ヴェロニカ・ゲリンの働きによって、アイルランド憲法が改定されたことが描かれる…

アイルランドの、寒そうな、陰鬱な風景描写が印象深い。ヤクザさんたちが、決まって黒い皮革のジャケットを着ていることにも注目した。寒いから、ああゆうの着ないと持たんのやろうけど、黒革のジャケットって、あちらではヤクザファッションの特徴なんやろか?

(15)郵便配達は二度ベルを鳴らす(1981)

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あまりにも有名なタイトルだが、何度も映画化されており、俺はそのどれも見たことがなかった。これは、ジャック・ニコルソンジェシカ・ラングの主演。

実際にあった殺人事件がモデルになっている。荒野にポツンとあるガソリンスタンド兼住居。老いぼれた移民系の旦那と、若く美しい妻。そこへ、見るからに犯罪者臭いジャック・ニコルソンが客的に流れつき、妻にエロ的目をつけ、ソレ目的で居座る。おひとよしな旦那は、こんなわかりやすい悪役顔のオトコを、住み込み店員に雇ってしまう。宍戸錠、案の定、旦那の留守に、悪漢は妻を襲う。

さてこの映画、この襲うシーンのモロなエロ描写が話題になったそうで、確かにキョクブ丸出しでハメハメをなさいます。しかし日本の映倫はキョクブに「ぼかし」をかけなさいまして、肝心な部分が見えません。何が肝心って、妻がその気になってるという事実です。アイランド型キッチンのアイランドに押し倒されたジェシカ・ラングは、最初、抵抗しますが、「いいわ、きて。」と受け入れる発言をしますが、上のクチより下のクチのほうが正直なのがミソなのよねん。まあ、エエけど。妻が、アホ旦那よりもオトコを見る目があって、彼が自分をそういう目で見ていることを、先刻承知だったの助なのは、キョクブを見なくても十分、わかるからさ。

いい仲になった男女は、邪魔者=旦那の殺害を計画します。ミソは、そそのかすのは、女のほうであること。犯罪者顔の男は、かわいい顔したこの女ほどは、悪人ではなく、彼女に心底、惚れてしまったがゆえ、さらなる悪事に手を染めてしまいます。男の純愛が悲しい、悲しい映画。終わりに近づくにつれ、俺はジャック・ニコルソンに同情してしまいました。

ああ、ふたりだけになって、幸せになれたらいいのにな…。だけど、人をひとり殺してるこいつらが、幸せになれることは、けしてないのだろうな…。悲劇に収束してゆく、ラストまでのたたみかけを見てみて。

ちなみに、多くの映画評で言い尽くされていますが、タイトルの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」ですが、ミソは「二度」の部分。

「郵便配達」はいつ出るのかな〜、まだかな、まだかな〜と待っていても(=俺)、郵便配達は出てきませんのよ。

(16)8人の女たち(2002)

8人の女たち デラックス版 [DVD]

フランス名女優が、年代別に8人勢ぞろい!なんとも贅沢な小編。

はっきしゆって、ストーリーは、どうでもいい。一応、推理ものの屋敷もの。屋敷ものとは、狭い家などの、限られた空間内で展開される推理劇のこと。

クリスマス、豪雪に閉ざされたお屋敷。こじんまりとした小金持ちの実家に、8人の女家族が集結するが、屋敷内唯一のオトコであるだんなが死んでしまい、8人の中だけで容疑者探しに大騒ぎするコメディだ。

ストーリーは、8人の女優をそれぞれに個性的に描くための装飾である。映画の本領は、女優たちの演技と、ミュージカル仕立てで一人一曲、歌って踊るシーンと、そして衣装だ。

唐突に、歌い、踊り始める女どもの、コメディエンヌぶりを、とくと堪能しよう。

まあ、なんちゅうても、見所は衣装ですよ。さすがファッションの国、フランスですよ。お洋服の色見本のような、鮮やかな色彩の洪水に、酔いしれるがいいさ!

みんな流石の貫禄だが、しっ、しかしぃ…カトリーヌ・ドヌーブよ、フランスを代表する美人女優が、ちと太りすぎでは?ドヌーブよ、それではまるで、日本を代表する美人女優、松坂慶子の二の舞ッ、ウッ、ゴホゲホッ

8人の女優名と、撮影時の年齢(2002年ひく生年)をまとめました。

カトリーヌ・ドヌーブ(59歳)

屋敷のマダム。だんなとの間に、遠くに住んでる大学生のムスメと、高校生のムスメがいる。ぽっちゃり体型にブロンド、青緑色のビロードのドレスに金色の毛皮のコートがよく似合う、いかにもマダム。しかしドヌーブ、顔の印象変わったなあ。やはり太りすぎのせいゴホッゴーッホ、モネマネセッザ〜ンヌ。

イザベル・ユペール(47歳)

マダムの実妹。ムスメたちにとっては叔母。中年の独身で、文学メガネブス。才媛ユペールが演じているので、もちろん、ブスなのはメイクと演技の賜物。ラスト近くで、ドレスアップして登場し、息をのむ美貌を見せてくれる。「ユペールは、8人の中ではいちばんきれいなのに、ブスの役やってんだなあ。」と悔しがってた俺を、歓喜させてくれるとゆー、ナイスな趣向だ。

ファニー・アルダン(53歳)

マダムのだんなの実妹。「永遠のマリア・カラス」でカラスの役をやった大美人。大美人なのに、今作では、徹底した「美人女優に、わざとコメディエンヌをやらせる」の方針で、へんなお色気おばさんを演じている。クネクネ踊りながら、真っ赤な冬スーツを脱ぎ脱ぎクネクネ、歌うシーンは、おかしくもあり、美しくもある。

日本の喜劇は、女を使って笑わせようとすると、醜く醜くすることしか知らない、馬鹿ばかりだ。女芸人といえば、決まってブスだ。美人女優を使って笑いをとることも、苦手だ。このフランス映画を見てみろ。世界的美人女優に、こんなアホアホをやらせて、全員の格を上げているんだぞ!

ヴィルジニー・ルドワイヤン(26歳)

大学生のムスメ。ここまでお読みになっておわかりのように、この映画、8人も大女優を出しながら、誰も彼も、ぜんぜん「美人」には描いていない。この子も、若さでは妙齢なのに、絶妙に不美人だ。おしゃれ大学生なので、服装はピンクピンクかわいいのだけど、しもぶくれで、不機嫌な仏頂面で、かわいくないんだよな〜。前髪はぱっつんぱっつんで、おっぱいもぱっつんぱっつん。どうにかしてくれ、この映画。

リュディヴィーヌ・サニエ(23歳)

えっ、23歳だったの、このガキ。リセに通ってる末娘役。8人中唯一「素」でぶさいくな上、自分のぶさいくさを逆手にとって、見ている俺が「そのひょっとこ顔、やめなさいッ」つって、叱りたくなるほど、アホずらをアホアホさせる子。大学生のおねえちゃんとのデュエットでの、ひょっとこ顔・横ずらしダンスは圧巻。

エマニュエル・ベアール(39歳)

若いほうのメイド。作中では、一応、もっとも妙齢の、もっとも美しい女という設定だが、俺はエマは大好きなんだが、このひとも、美人では…ないんだよなあ。目玉ギョロリの、鼻ぺちゃの、あごトンガリでさ。そんなエマニュエル・ベアールは、ふだんからCDを出している歌手でもあるのだが、俺もCD持ってるが、この映画での歌は、ダミ声を張りあげ、スカートたくしあげ、フンフン鼻息荒くして「♪人生は〜アンア〜、ハイ!出たとこ勝負〜ハイヨ〜」と踊るとゆー、なんだこりゃ感いっぱいのシロモノになっており。…なんという、確信犯な映画だろう…

フィルミーヌ・リシャール(不明)

黒人で年嵩で太ってるほうのメイド。年齢が検索しても不明だったが、どうでもいい。このひとの歌はジンときた。美声だ。カトリーヌ・ドヌーブたち美人には、おかしな歌を歌わせ、明らかなデブブス役のほうに、美しい歌を歌わせる、この映画のやり口は、まことに卑怯だ。笑かしといて、ふわーん、泣かすなよー。

ダニエル・ダリュー(85歳)

マダムの実母。ムスメたちにとっては、おばあちゃん。上記の大女優たちに目茶苦茶やらしてきて、その上、フランスの至宝ダニエル・ダリューを出演させるだけでもすごいのに、このおばあちゃんの、お茶目なことといったら!紫シルクのスーツで、車椅子に座ってる令夫人だが、途中からスタスタ階段かけ上がるんだからッもうッ。しかも紫のハイヒールなんだからもうッ!85歳のダニエル・ダリューのどたまを、瓶でぶったたくんだから、もうッ!

そしてラストシーンは、ダニエル・ダリューの信じられない声量の、最高の美声、最高にフランスらしい歌で締めくくる。

いいもん見せてもらったよ。

映画たちへありがとう

月間の視聴記録を見返すとき、毎度、思うのだが、11月のはじめ頃に見た映画を見た日が、すっごく昔に感じるんだよな。(1)の、清水の次郎長見たのなんて、はる〜か、ずっと前のように思えるんだ。次郎長から、フランス8人女まで、日々の、なんと長く感じることかよ。エブリデー毎日、仕事をしていると、日々の経つのが、非常に早く感じるのにさあ?

12月末である本日、11月はじめ頃の、仕事の苦労を思い出すと、昨日の出来事ように、辛く感じるが、次郎長や座頭市見た日の感動は、きらめきにつつまれた、遠く美しい過去の、思い出となってよみがえる。

時間は、冷酷に年齢を積み、俺を死へと近づけてゆく。それと同時に、心おどらせ、笑い、涙し、一度きりのこの命を、価値ある命へと、生まれ変わらせ続けるのも、時間なのだ。

映画は、俺の人生を、実り豊かなものにする。映画を見ている時間、俺は我が身をかえりみて、次の自分への糧とする。幸福なれ、我が人生!

ありがとう、名画たち。ありがとう、名優たちよ。