横山光輝の三国志を通読したきっかけは混んでる銀行だった
- 作者: 横山光輝
- 出版社/メーカー: 潮出版社
- 発売日: 1988/11/20
- メディア: コミック
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何を言ってるのか、意味がわからないと思うが、説明するから、読みたまえ。
数年前、俺は新車を購入した。自動車を買い換えると、その年度の自動車税を、払い直す必要にせまられる。手続きのために指定された銀行は、ふだん俺が使っている、ムーミン信用金庫ではなく、ロック銀行という都市銀行だった。
※地名・団体名は、仮称でお送りしています。
もよりのロック銀行の支店に、新車で乗り付けた俺は、駐車場の混んでいることに、若干びびった。平日だというのに、なんだこの混み方は。ロック銀行が、俺の近所には、その支店しかないせいで、利用者が殺到しているのだ。
店内に入って、さらにびびった。混んでいる。窓口の順番を待っている人間が、50人以上いる。ロック銀行の、その支店では、こんな光景が日常茶飯事らしく、待合ブースは広く、椅子は多く、そして、待ってる間に、これでも読んでろ、と置いてある書籍が、ふつうではなかった。
賢明なる読者諸氏には、記事タイトルの意味が、だいたい想像ついたことと思う。
いつも行く、ムーミン信用金庫の待合ブースに配備されている書籍などは、新聞、薄い雑誌、『週刊ポスト』や『女性自身』、あとはムーミン信用金庫のパンフレットぐらいのものである。そんなペラッペラの印刷物ですら、手にとる機会もなく、すぐに呼び出される。俺は、そういう銀行しか知らなかったので、ロック銀行の、長時間をいとわず待たせる姿勢に、圧倒された。
だって、横山光輝の三国志が、文庫版で、全30巻が、ズラリと置いてあるのだ。
「よっ 横山光輝の三国志が置いてある!どっ どんだけ待たせる気じゃあッ!」と、俺は心のなかで叫んだ。
横山光輝のマンガ三国志は、子供のころから、図書館だの、友達の家だの、あっちゃーこっちゃーで、ちょいちょい、読んではいたが、お恥ずかしいことに、ロック銀行の待合で手にとるまで、きちんと通読した経験はなかった。
ロック銀行の、待ち時間は、じっさい長かった。なにしろ、書棚から、三国志第1巻を抜き出した俺は、例の、劉備玄徳の、「お茶!」を買い求める孝行息子な場面から、黄巾の乱に巻き込まれ、鴻芙蓉姫と出会い、巨大張飛が登場して、玄徳は助けてもらったお礼に、先祖伝来の剣を張飛にあげてしまい、故郷にもどり「お茶!」を飲ませてあげたかったお母さんに「ま まさかお前 あの剣を手放してしまったんじゃないでしょうね」「わ 私は……私は子の育て方を誤りました」と、叱られるところまで、夢中になって読みふけってしまい、自分がいまいる場所が、銀行だということすら忘れていた。玄徳の母が「お茶!」を川に投げ捨てた場面で
「136番でお待ちのかたー、136番のかたはー」と呼ばれて、ハッとして、現実に引き戻された。
そして俺は、続き読みたさに、全巻を、大人買いすることに決めたのだった。本が人を呼ぶのだ。あの日、俺は、たぐりよせられるように、横山光輝三国志に出会った。いつか読むはずだった。今こそ、その時だったのだ。
ちなみに、この全巻は、敢えて通販サイトでは買わずに、地元の本屋さんで一気買いした。地元の銀行が縁で、読もうと思った本だから、購入するのも、地元でと思った。
一日一冊のペースで読み続け、読破するのに一ヶ月かかった。
感想は、置いておこう。いうまでもなかろう。はまったのだ。
今年の秋、俺は、神戸市新長田で開催された、三国志祭に出かけるまでに、はまった。お祭り紀行は、次の記事で。