新ガラマニ日誌

ガラリアさん好き好き病のサイトぬし、ガラマニです。

京都・奈良旅行記(4)ガラマニ厩戸王子に会いに行くの巻

厩戸「傷など、ふさいでみせる!」

山岸凉子著「日出処の天子」大好きッ子の俺。同作品は、高校生のときから何百回も読み返し、セリフからなにから、ほとんど頭に入っている。名作とは、何度読んでも飽きず、何度読んでも新たな発見があるものである。

そんな名作マンガ「日出処の天子」、通称「ずるてん」の名シーンを思い出しながら、ガラマニはJR法隆寺駅に到着。例によって、駅前についてから、行き先への道を探す無計画のカタマリな俺。法隆寺にも、何度も来ているが、以前は車の助手席だったので、道順などアウトオブ脳内である。駅近くの陸橋に上がると、彼方に紅葉した山があり、お寺の屋根屋根も見える。ふむ、あれが法隆寺に違いない。こんくらいの距離なら歩いて丁度いい。お山を目指して歩き出した。

道すがら、ずるてんの描く人間ドラマに思いをはせる。

いちばん好きな女性キャラ、刀自古は、実兄の毛人を愛していたが破れたのち、形だけの婚姻を結んだ厩戸王子(=聖徳太子)のことを、本気で愛してしまい、苦しむ。厩戸王子は、女嫌いの同性愛者なので、刀自古はむげに扱われ、悲嘆に暮れるのだが…

俺は、厩戸は厩戸なりに、彼女を愛していたんだと思うんだ。ストレートの男が女を愛するように、刀自古は愛してほしかったのだが、それは叶わなかった。だけど、でも、厩戸は無自覚ながら、ちゃんと刀自古をいたわっていたと思う。厩戸の刀自古に対する愛情とは、それこそ、兄の妹に対する愛情のようだと、「刀自古、あなたは自分の悲恋をばかり嘆いていたけれど、あなたのことを皆は、それぞれに愛していたのだよ。」と、考えていた。

曇り空の斑鳩法隆寺は、曇天を蹴散らし、さんぜんと立つ。

五重塔を見上げると、最上階に、黄色い服の厩戸が立っているような気がする。

国宝満載の資料館、大宝蔵院は、オージを偲ぶ名作ばかりで、興奮しっぱなし。あ、厩戸王子のことをカタカナで「オージ」と呼ぶのがなぜだか、ご存知でない方は、「日出処の天子」最終巻を参照されたし。つーかこの本は人類必読図書なので、読むがよろし。

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トリこと鞍作鳥(くらつくりのとり)作、玉虫厨子は、1400年の時を経て、色あせているのは染色のみにて、トリの天才性は、まったく色あせず。

玉虫厨子って、我々にはあまりにもおなじみで、見慣れてしまい、これのなにがいいのかと、真剣に考えたことはあったか?と自問自答した。表面に、昆虫の羽を埋め込んだことは奇抜だが、それのみが優れているのではない。また、推古王朝期の実物が現存しているから、古いから、よいものなのではない。まず大きさ。でっかいんである。そして図案の配置。仏教世界が大胆に描かれている。細かい部分は、繊細な細工なのだけど、厨子全体の構成は、思い切りがよく、迷いがないのだ。トリの作風って、遊び心にあふれて、骨太だなあと思った。仏師・鞍作鳥さんは、豪放磊落なにいちゃんだったのだろうなあ。

そして世界の宝、百済観音像を、見た。大きい…容積として、存在として、大きい!震えがきた。俺の人生の今、百済観音様にお会いしたのは、なにがためだろう。

旅行記(3)で俺は、東大寺戒壇院の四天王像を、「理想の男性像」と評した。

対して、観音像全般は、男の目で見れば美女に見え、女の目で見れば美青年に見えるように作られている。ひとことでいうと中性的なのだが、単純に「男でも女でもない」という位置に置かれているのではなくて、誰の心にも確固としてある「理想」が、観音像なのだ。観音像に表現される「理想」とは、見目かたちだけではなくて、むろん心象をこそ追求している。偶像崇拝は、神仏になりたいと願い、けしてなれない性(さが)を負った人間が、自己を見つめるためにある。

厩戸「人は仏になど、なれぬ!」

オージがヒッキーしていた八角堂、夢殿。

法隆寺境内で腰掛け、一服。そういえば、不朽の名作「日出処の天子」を、法隆寺サイドは快く思っていないんだったよな。厩戸、ホモで殺人鬼やし。だけど同作品があまりにも有名になってしまい、対抗して法隆寺が、池田理代子氏に依頼して描かれたマンガが「聖徳太子」だったんだっけ。

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法隆寺のお隣にある、中宮寺。言わずと知れた、観音菩薩半跏像が安置された本堂。

中宮寺を出ると、午後もいい時間になっていた。陽が短い師走のこと、16時半には日没である。法隆寺前の道路に出て、「日没までまだ時間あるな。どうしようかしら。」と思っていたら、まあ俺なんて、ふだんの行いがよいので、ちょうど薬師寺行きのバスが来たのである。今日中に、奈良未見の二大仏閣、薬師寺唐招提寺を見られるぞ!以下次号。