秀逸ダンバイン記事
むろのさん作ブログ「surrender」
http://aufwiedersehen.blog29.fc2.com/
より、ダンバインの感想文↓への感想文を、書きたく思います。
http://aufwiedersehen.blog29.fc2.com/blog-category-7.html
な、なにしろ…おもしろいッ!なにがって、むろのさんの文章がですよ。「聖戦士ダンバイン」の本放送世代である俺は、富野作品を実質初めて見たのが、ダンバインのビデオだという、むろのさんの感覚を、非常に新鮮なものとして受け止めました。
まずは主題歌について
歌詞がひらがなで出てくるのが昔のアニメらしい。
えー…( ゚ Д゚)
って、気がつかなんだ!そうか、あれ「ひらがな」だったか。そしてそれは、今時の若い人が見ると「昔っぽい」んだ! ダンバインのOPアニメ、俺なんかは、あまりにも見慣れていて、こういう突っ込みは考えもつきませんでした。
次に、第1話について
物語のはじまりが唐突すぎて当時の子供達がどうやって理解したのか、想像がつかない。
ハイ!「当時の子供」こと、俺が答えます!アニメ雑誌の解説を先に読んでいたので、理解出来ました。読んでなかったら、たぶん、理解不能です。
固有名詞を説明も何もなく連発されるのがつらく、
それを「富野節」って呼ぶんです… す、すみません(なんで俺が謝るんだw)いきなり「ダーナ・オシーのマーベル・フローズンだ」なんつって分かるわけないですよねぇ。そこがオモロイんですわ。富野作品にはまると、こういう富野節を聞くとワクワクするんです。
馬に乗るトッドとガラリアのシーンは別のお話のよう。
13話のデートシーン、いいですよねッ(つД`) その「別のお話し」を20年以上、考え続けている奴がここに一人おります〜
第41話の、シーラとイギリス女王の会見シーンについて
イギリスの女王はそんな立場じゃないと思う。
まったく同感です。その点について、俺は「自サイトのこの項」で「バーナード・ショーが泣くぞ」とひとくちコメントしました。自分も、各話解説で詳しく述べたいポイントです。シーラの言う王道とは、精神論であって、政治論であってはならないのが地上の(=現代の)民主主義であると思います。英国王室のロイヤル・デューティー(王たる責務)とは、議会制民主主義と立憲君主制の上で、保たなければならない「節制」のことを云うのであります。シーラは、それが分かっていない。(イギリス女王も分かっていないのは問題ですなw) そんなバイストン・ウェル王族の、民主主義への不見識を描いたのが、次の42話「地上人の反乱」ですね。労働者のストライキ行動に、ビックラするビショット王がナイス。こうした、異質なもの同士の摩擦が、バイストン・ウェル物語の核だと、俺は思っています。
二人の女王(エレ、シーラ)は実際仲悪いと思う。何気にお互いの失敗をチクチクつつく台詞があるのは意図的なんだろうか。
す、鋭い!あの二人について、ライバル意識を見て取るとは。むろのさんが、丹念に番組を見ておられるのが、よくわかります。女王様萌え族では、ぜんぜんない、俺ですら捕らわれていた、ある種の固定観念に、これ読んで気がつかされました。下手な事書いたら、シーラのファンがコワイという観念が、俺にすらあったんだなぁ。あったのよぉ(爆笑)。むろのさんの冷静な分析に脱帽です。
「私が欲しいのは、ライク・ミーでなくラブ・ミーよ」という台詞がすごい。何度も書くが当時の子供はどう解釈していたのか?
何度も書きますがハイ!「当時の子供」が答えます!俺、意味は理解出来てました。中学生でしたが、おませさん(死語)だったかな、俺って。ただ、でも、実年齢がオトナだろうとなんだろうと、この台詞から、マーベルの苦しみを、慮れる人とそうでない人は、いるだろうと思います。
そして、むろのさんが描かれたガラリアさん絵に、涙、ナミダの俺です。
むろのさんのダンバイン感想文は、読みやすい分量でまとまっており、要所毎に急所を突き、実に面白く、素晴らしいものです。「当時の子供」として、今はウェブサイトという同じ土俵で、ダンバインを取り上げる者同士として、そしてダンバイン好きな同志として、エールを送ります。