新ガラマニ日誌

ガラリアさん好き好き病のサイトぬし、ガラマニです。

ガラマニ日誌〔19〕04/7/10(土)「学習とはなにか~副題:最近の若いやつ~」後編

「最近の若いやつらは、なっとらん」

という落書きが、紀元前のエジプトの遺跡から発掘された事は、有名だ。
いつの時代でも、年長者は、年少者を見ると、同じ感想を持つものらしい。

俺は最近、社会人生活が長くなってきて、20代のワカモノの、常識のなさ加減、勉強出来なさ加減、バカさかげんが、とみに、気になるようになってきた。

前編でバラしたように、俺は、大卒後何年間か、教室と呼ばれる場所に勤務していた。その頃にも、感じた。近年の、日本の学習指導要領は、レベルが低すぎると。

俺が教室勤務だった10年前の、10代の子供たちは、俺の小中学生時代には、誰もが当たり前に読んでいた、娯楽読本を、読んでいなかった。

シャーロック・ホームズを知らないそうだ。
ベーカー街はイギリスだと言っても、イギリスがどこにある国か、
そもそも国名だという事を、知らなかったそうだ。
イギリスとアメリカの母国語は、同じく英語なのを、知らなかったそうだ。
では、と、俺は、英国と、米国成立の歴史を教えていた。
すると、子供たちはこう言った。

「ボコクゴってなんですかー」
「ドクリツってなんですかー」
「ドクリツはわかったけど、センゲンってなんですかー」
「占領スレドモ統治セズ、って何語ですかー。社会の時間なのに、なんで中国語?習うんですかー」

これが中学3年生レベルだとは、俺は信じられず、がっくりと教壇に両手をついていた。彼らは10年後、社会人となり、年代的に言って、そう、川原洋子さんや、皆川三等子さん(25さい)となったわけである。

俺の勤め先、G課の、先代バカ社員、川原洋子さんの常識なさ加減も、凄まじかった。
制服女子社員の大事な仕事に、お客様へのお茶出し、というものがある。
川原さんと俺は、同期入社であるから、習う事は、給湯室の場所、緑茶セットの置き場所、それだけでいいはずである。ところが、川原さん。

川「ガラマニさーん、お茶ってぇ、どうやってツクルんですかぁ?」

…俺は、茶筒・急須・電気ポット・茶托・湯のみ・お盆の使い方を、教えた。
…彼女は、今までの人生、オチャーというものを、入れた事がなかったらしい。
…俺が、オトコだったらな。川原さんは、死んでもヨメにはしたくないぞ。

それで済むかと思ったら、さすが川原さん。完成したお盆を手にして、さっさと、お待たせしているお客様のところへ、行けばいいのに、更に、俺にこう尋ねた。

川「えっとぅ、黙って置いてこれば、イイんですよねぇ?置いてクルだけですよねぇー、なんにも言わなくてイイんですよねぇ?」

俺「…普通…日本人は日本語で、挨拶するもんじゃないかな…お客様だからね…」

川「えぇーっ、なんて言えばイイんですかぁー?どうしよーう、わかんなーい、なんて、なんて言えばイイんですかぁーっ?ガラマニさん教えて教えてくださーいっ!」

俺「…失礼いたします。どうぞ。そしてお辞儀、退出の、失礼いたします、だよ…」

川「えっ?えっ?しつれいしますーは、2回、言うんですか、いつ?応接室に入った時ぃ?お辞儀って、どこでスルんですかぁー?ドアのとこでっ?入ってからですかぁ?どこ?いつ?うそ、うそ、どうしよぅーわかんないーぃー」

…彼女より、江戸時代製作の、お茶出しからくり人形を採用した方がエエのではないかな…

しかし、川原さんが、まだマシなのは、「教えて下さい」と、努力する姿勢が、あるところである。例え、バカでも、バカなりに、やろうとする気持ちが、川原さんには、あって…

別の日、給湯室にいたら、焦った川原さんが、駆け込んで来て、

川「ガラマニさん、あの、社長?専務?かなんか、エライ人がぁー、お部屋のぅ、机を拭いてくれって、あたしに言ってぇー。どうしましょう!」

この彼女の焦り具合は、理解出来る。命じた人とは、俺たちが、まだ喋った事もないえらいさん。その専用個室には、入った事もない。聞けば、彼女は、個室の入り口から、中を見て、ビビって俺を呼びに来たのだと言う。きっと、中で鎮座まします、取締り役員の姿に、彼女は緊張してしまったのだろう。無理はない。

俺「うん、じゃあ、わたしも一緒に行こうか。ほら、これ、ふきん。」

ふきんを手に、俺と川原さんは、豪華な個室へ。大きなデスクと、応接用テーブルがある。おや、誰もいないではないか。川原さん、役員さんがここにおられたから、ビビったのでは、ないのか?
そこは川原さん。さすがは、川原さんなのである。彼女の言った台詞とは?!

川「ほら、ツクエが、2つあるじゃないですか!デスクとテーブルの、2つ!」

俺「そうだね?」

川「机を拭けって、どっちを拭けばいいのか、わかんなくってーぇー!」

…あ、めまいが。くら、クラクラクラ~

さて、前編で述べた、皆川さんにしても、川原さんにしても、学歴・経歴は、別段、悪くない。川原洋子さんは、某フィロソフィア県の、名のある女子短大を出ている。皆川三等子さんは、専門学校卒後、事務職を勤めてきたという。

なのに、彼女らは、頭のネジが、2個ぐらい、抜けているのである。

前編で述べたように、これらバカとは、治らない、不治の病ではあるが、
学校や、会社といった組織に、しばらく在籍しておれば、経験則より学び取っているはずの、常識と呼ばれる分野が、抜け落ちているのである。

つまり、いくら経験したって、素地がバカでは、大切なポイントが見えないらしいのだ。そして、最近の若いやつには、バカが増えているのである。年々、バカのバカ化が進み、全体の知的レベルが低下している。これは、まごう事無き事実である。

ここで、後編のポイント。

近年、日本の教育は、レベル低下の一路を歩んでいる。敢えてそうしているのだ。大学では、一般教養科目が廃止され、知の最前線たる最高学府は、専門学校化している。小中の義務教育では、「落ちこぼれをなくすため」という理由で、教科書のレベルを、敢えて下げた。

そうすると、どうなるか?

勉強の出来る子、頭のイイ子とは、
たとえバカ用教科書であっても、そこから広汎な知識を得る。
教科書に書いてある事、だけではなく、自分がテレビやマンガで見た内容と、教科書の内容とを、瞬時に脳内で結び付け、更なる知識の飛躍をして見せる。そして、発意で図書館に行き、好きな本を読み、インターネットで検索し、映画を見ても、何をしていても、
出来る子の脳は、ひたすら発展の一路を歩むのである。

一方、出来ない子は。

ただでさえ、飲み込みが悪いのに、学校で習う内容のレベルが落ちている。
出来ない子とは、努力する才能が、元よりないので、バカ用教科書を与えても、やっぱり出来ない。しかもバカは、「言われた事だけやればよい」と思っているので、自分から進んで学ぶとか、好みの本を物色するとかいう行動など、天から思いつきもしない。
出来ない事、知らない事にぶつかると、決まってこう言う。
「だってぇ、こんなの、習ってないもんー」
だから、バカは、なおさらバカになる。

俺は、小中学生を指導した経験から、責任と自負を持って、言わせてもらう。

バカにつける薬はないというのに、教える内容のレベルを下げれば、
勉強出来る子と、出来ない子との、格差は、ますます大きくなるばかりなのだ!

なんで、明日を担う、日本の子供たちを、こうまで甘やかすのだろう。

皆川さんに、なんで、小学校までに、「習った事は書きとめましょう」と教えなかったのだろう。たかが習慣の問題である。

川原さんに、なんで、年頃になるまでに、緑茶の入れ方と挨拶言葉を、教えなかったのだろう。たかが、「失礼いたします」とクチに出して頭下げるってだけの事である。

こんにち21世紀、これら若者たちの、知的レベルの低下を生んだのは、なんであろうか。
20年ほど前、さかんに言われた、「学歴格差をなくそう」から来たのではないか?と思った。

俺は、10年前、教育現場におり、進学指導をした際、ある事実を知った。それは、本当に頭のイイ子が、有名高校、有名大学に行くのではない、という事実である。

中3クラスの何十人の中で、数名は、本当に頭のイイ子、であった。彼らは、10分後に迫った、英単語テストの勉強を、一切、全くしてこなかったと言う。

「全然、覚えてねぇや。どうしよ?」

と笑う生徒に、俺は、今から少しでも覚えなさい、と言いかけ、言われなくても、彼らは単語帳を手にしていた。

テスト問題は、日本語訳と綴りが20個ずつ。そして彼ら、頭のイイ子たちは、10分弱、単語帳を眺めただけで、満点をとるのである。

一方、バカとは、前夜より、「明日は単語テストだ!」と焦り、バカなりに一生懸命、勉強してきても、及第点をとれないのである。

こう言ってしまうと、努力は無為かと、誤読されるかもしれないが、そうではないのである。頭のイイ子とは、記憶力がイイ上に、集中力があり、「学習するとはなにか」を知っている。単語テストで満点をとれる子は、テスト前10分間だけで、記憶したわけではない。

授業中、その単語を習った最初の日に、脳内に叩き込む作業を、着実にしていたからなのである。努力する才能があるのである。

バカは、「俺、がんばったもん。」と言いながら、実は全然、頑張れていないのである。授業を、聞いていない。ノートをとらない。復習もしない。それを指摘されても反省しない。それで、テスト直前に焦って、一生懸命やったつもりでも、それは一生懸命ではないのだ。バカには、努力する才能がないのである。

そうして、進学になると、頭のイイ子は、普通科進学高校に行く子もいるが、何名かは、あっさり、商業高校や工業高校に行った。彼らは、高卒という学歴でもって、素晴らしき社会人となり、その優れた能力を、生かすであろう。

一方、勉強するとはなにか、をわかっていない天然バカは、親に「絶対、大学に行きなさい!」と言われ、いやいや受験勉強し、推薦入試という、忌むべきバカ用入試制度のお蔭様で、かつてはレベルの高かった有名大学に入り、その大学のレベルを、下げるという社会的貢献を為すのである。

そう、推薦入試。特に、指定校推薦枠のバカとは、目もあてられないバカである。
そして、国立大学用だった共通一次試験を、私立も取り入れ始めた。入試問題を、すべからく易しくした。高校のカリキュラムは、その易しい受験用の科目だけにした。学歴格差をなくすため、出来ない子でもイイ学校に入りやすくするため。

約20年前からの、これらのバカ用入試改革によって、素晴らしきバカが、有名大学生となり、自分は学歴がイイ、だから頭もイイと、スーパーウルトラ勘違いをするようになった。

こうして、学歴格差をなくすという目標は、達成されたのであろう。

だって、本当に頭のイイ子たちは、本当にインテリな大卒者ともなるが、数多くは、ハナから大学には行かなかっただけなのである。そして、真なるバカ、受験勉強しか出来なかったバカが、常識のない社会人となる…

悪循環だ。こんな悪循環、社会的悪影響な、教育をしてはいけないと、俺は思う。

そういう俺は、どうかな、と、昨日、皆川さんを見ながら考えた。
自分は、メモを欠かさないし、礼儀正しいし。キチンと仕事してるんだと、…慢心してはいないかな。

そもそも、本当に頭のイイ人とは、
「自分は、いかに知らないか」を、知る人ではなかったか…

大学生の時、先輩に習った言葉を、思い出した。

Front of Intelligence 知の最前線。

学問する者は、常に、フロント・オブ・インテリジェンスに立てと。

自分は、いつも知の断崖に立っている。一寸先は闇だ。自分はこの闇へと突き進む者だ。この先にある世界は、未知なる世界だ。世界は、まだまだ全然、知らない事ばかりなのだ。
常に、慢心することなかれ。
人は、知れば知るほど、自分がいかに知らなかったかを、思い知らされるものだ。
フロント・オブ・インテリジェンスとは、衒学的の正反対にあるのだと。

語の真なるインテリとは、『月下の花』のゼット・ライトのように、謙虚で穏やかなる人物…

…俺は、他者をバカにしてばかり、ではいけないな。自身のバカさかげんを、反省する心がけを、忘れないように、気をつけよう。

と、思いつつ、でも、今回の日誌は、バカバカ書いて、
スカッとして楽しかったなァ~と、つぶやいている俺である。