新ガラマニ日誌

ガラリアさん好き好き病のサイトぬし、ガラマニです。

福井旅行記【後編】永平寺、あるがままぁあああああああー!

6月某日。ガラマニ、はじめての永平寺

俺は、敬虔な、曹洞宗の檀家である。じゃによって、曹洞宗大本山永平寺には、人生、必ず、行かねばならない。

そもそも、このたびの旅の、主たる目的は、福井旅行記【前編】の東尋坊ではなく、二日目の永平寺であった。参拝するにあたり、俺は、My般若心経を持参し、どこかそのへんの大杉のカゲで、一人、読経をしたいと思っていた。

駄菓子菓子!永平寺デーのその日、福井に、なんと台風が上陸!暴風雨警報!コンビニ透明傘、購入!防水機能のついていない、デジカメの命をかけた撮影!

だから、ロクな写真はないから、そこんとこ読者様、エーンド、道元様、あるがまま思想で、受け入れて行きましょう!

福井駅前から、永平寺までは、バスで往復した。暴風雨マックス状態の永平寺。コンビニ透明傘に打ち付ける、雨音は、バランバランバラン!まるで、宋の国にゆかんとする道元様の、乗ってるお船が、嵐に見舞われたがごとき!

永平寺は、禅の思想を極めた道元様が、もっと極めないかんから、修行せないかんから、よりによって、なんでこんな山奥に建てたのだと、皆に思われるし、俺もそう思った、深い深い、山麓に位置する。今日も、明日も、明後日も、雲水さんたちが、修行をしている場であるから、俺たち参拝者は、態度、静かに、お参りしなければならない…

静かに…お参り…静かに… だが

人間は静かでも、天然自然は、この日、ぜんぜん静かではなかったのだ!

バケツひっくりかえしたような豪雨が、バランバランバラン!鉄槌のように降りつける!雨傘は、台風レポーターのように、逆向きに!

永平寺の受付窓口、吉祥閣に入ると、くつをぬぎ、白いポリ袋に入れて、自分で持ち歩くシステムになっていた。雨でズブズブになっていた、スニーカーから、足を洗うことができて、一安心。ありがたいシステムです、道元様…。まずはそこで、参拝者へ、説明係りの雲水さんが、永平寺の概要と、注意事項を、お話ししてくださった。イケメン・メガネの青年僧さんで、ばつぐんの安定感。

「わたしは、ここに来て、四か月になりますが、個人的には、雨の永平寺が、いちばん好きです。皆さん、ガッカリされませんように。(超笑顔)」

記事タイトルにした、「あるがまま」とは、道元様の根本思想である。俺が、人生はじめての永平寺で、暴風雨だったことも、あるがまま。雲水さんの優しいお言葉にも、その思想があらわれている。

また、永平寺の中の、写真撮影は、自由だが、修行されている雲水さんに、キャメ〜ラを向けることは、おひかえください、と言われた。当然である。

意表をつかれたのは、永平寺の参拝ルートに、縦横無尽に張り巡らされている、階段の心地よさであった!くつしたで歩き回れる、素敵システム。階段マニアの俺には、たまらんかったです!

しかし、雨は激しい。屋根のあるところから、撮影しようとしても、降りこむバランバランバラン。

画像クリックで、はてなフォトライフに行き、そこから「オリジナルサイズを表示」でご覧いただくと、雨の激しさが、いちばんよくわかっていただけそうな写真が、こちら。

しかし、そこは檀家の俺。道元様の御前にて、「南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏…。なむしゃかむにぶつ。生きとし生ける、一切の…。」と、唱えた時には、ブルルと、身震いがした。雨にぬれて、けっこう寒かったからでは、ないッ!いや、あるがままだから、率直に言うと、寒かったから身震いした!

ハッキシゆって、身体的に、余裕がなかった!だって暴風雨だもん!My般若心経を、取り出す暇も、あまりなかった!

でも、ナイスな階段は、けして見逃さない俺。見て、見て、こんな階段があったの。

関係者以外は、立ち入り禁足になっているようだ。禁足だと思うと、余計に萌える、「階段」マニアは、まかり間違っても、「戒壇」することは、できなかったであろうー。

暴風雨のため、屋外での撮影は、デジカメのイノチガケだったこともあり、俺は、しばら〜く、心地よい階段を、行ったり、来たりして、過ごしていた。

だって、外は、バランバランバランで、こうだもの。

参拝ルートの終着は、吉祥閣の売店である。さて、こちらで、俺のこのたびの旅の、第二目的である、お買い物をした。俺は、婦人物の、曹洞宗のきちんとした、御念珠が、ほしかったのだ。売店のおねいさんに、相談したところ、丁寧に教えて下さった。水晶(透明)や、珊瑚(ピンク)、他に、黄色や緑色、紫色の御念珠が、あった。

この時、血迷って、ピンクや紫を購入しなくてよかった。質実剛健を重んずる俺は、スタンダードな、水晶をチョイスした。フサフサの部分(←敬虔な檀家だと豪語するわりには、専門用語にうとい俺)は、純白だ。

合わせて、自動車用の、交通安全お守りも、購入した。

永平寺でゲットした、お宝三点セット。いちばん左に注目。

出た。仏教まんが「道元さま」だ!この本は、門前町のお店で見つけて、狂喜乱舞した。中村ひろし先生が描く、ゴーイングマイウェイ、道元さま!道元さまの、激しすぎる生き様が、わかりやすすぎる中村節で、大胆に、マンガ化されている。

このマンガを読むと、道元さまって、すっごい、強情っぱり(ごうじょっぱり)なんだナァ〜と思った。

貴族の家に生まれながら、両親を亡くし、男児のいない叔父さんの公卿の大事な後継ぎにされそうになるや、勝手に家出して、勝手に出家して、叡山で戒壇したはいいが、ここでは仏教意味不明と、勝手に叡山を出て、勝手に他のお寺に行き、恩師の栄西様に出会えたはいいが、日本では仏教意味不明と、勝手に宋の国に行き、宋の国のお寺システムが、仏教本来のシステムと違うと抗議し、宋のエンペラーに勝手に手紙を書き、システムを変えてしまい、その上、典座の老僧である、つまり目上の人にむかって、いつもひとこと多くて叱られ、そのおかげで仏教開眼し、宋の山奥で、足の遅い後輩を置き去りにして、勝手に先に行ってしまい、虎に出会い、座禅が完璧なので、ベンガル虎すら子猫扱いしてしまい、追い付いてきた後輩が、心配して、大丈夫でしたかと尋ねているのに、おとなしい虎だったよ、などと言った、次のコマで、お腹が痛いと倒れ込み、道元さま、あなたそれはね、さっきの虎のとき、内心、無理したんやろ、その症状は明らかに神経性胃炎やろ、勝手に病人になり、後輩を困らせ、都合よく稲荷明神が出てきて、胃腸薬をくれたから助かったようなものの、日本に帰国してからは、波多野義重さんに例の、例のってここの、福井県の領地をいただいて、永平寺を建立し、みんなと修行を続けるのはいいが、ひしゃくに半分のお水の貴重さを教えるために、弟子に、大急ぎで山奥からキノコとってこいと言いつけ、ヘタヘタに疲れさせ、ひしゃくに半分の水を飲ませ、どうじゃ、こんなに少ない水が、今のお前には死ぬほどありがたかろうと、わからせたはいいが、そのキノコは毒キノコだから食べたらあかんと、オチまでつける。

ホント、強情っぱりだよ、ゴーイングマイウェイ、道元さま。

永平寺の境内で、くつした状態で、心にしみいるなにかを、なんとはなしに、実のところ、なにも考えずに、ニサニサしていた俺であったが、

いちばん印象に残っているのは、そんな俺の、背後を、通りすぎていく、たくさんの雲水さんの、足音だった。

速いのだ。

ものすごい、速足なのだ。足袋の、床をひた走る音が、

ササササササッ!

(同時に、雨音の、バランバランバランも、ものすごく耳に残ったが。)

速足の雲水さんの、この、足袋の足音。

ササササササッ!

そんなに急いで、階段から、お芝居の新撰組ものの池田屋の階段落ちのシーンみたいに、落ちやしないかと、心配になるほどの、

ササササササッ!

永平寺に宿り、今日も、明日も、明後日も、住まい続ける、道元様の思想は、苛烈に激しい。曹洞宗は、数ある日本の仏教の宗派において、学問体系と呼ぶに、もっともふさわしい。内省的であろうと、獅子奮迅努力し、エブリデー毎日の生活すべてが、修行である。雲水さんには成れない、俺のような在家の信者は、「あるがまま」思想を、生涯研究し、身に過ぎた贅沢を遠ざけたい。俺が断捨離に目覚めたのも、断捨離は禅宗の思想だからだ。最終的に、我が家を、永平寺みたいにするのが断捨離だと、解釈したからだ。

塵を払い、垢を除かん。…俺は、毎朝、目覚めたら、掃除する。身の丈に合わない買い物は、しない。

永平寺のIT担当の事務所を拝見してたら、IT雲水さんが、ナイスなPCと、サプライ用品を使って、サクサクと仕事をこなしてみえたのも印象的だった。仕事に必要なものは、もちろん使う。要るものは、要るのである。

いちばん大事なことで、今日から始められる、道元様の教え。

それは、あるがまま。

さようなら、静かで、激しい、永平寺。ありがとう御座います、道元様。

そして、あの日の、雲水さん。

「わたしは、雨の永平寺が、いちばん好きです。」

→合わせて読みたい、俺の記事。映画「禅 ZEN」感想文。俺は、悟れない。